中心より面目に達す|3月30日のことです。

蓋し帰りて虆梩を反して之れを掩へり。之れを掩へること誠に是ならば、則考子仁人其の親を掩ふことも亦必ず道あらん。(滕文公上五章)
けだしかえりてるいりをはんしてこれをおおえり。これをおおへることまことにぜならば、すなわちこうしじんじんのそのおやをおおうこともまたかならずみちあらん。(とうぶんこうかみだいごしょう)
3月30日の孟子一日一言です。
【訳】
そこで、急いで我が家に帰り、土籠などで土を運んできて、その死骸を掩い隠した(これが埋葬の始まりである)このやり方が道理にかなったよいことだとすれば、後世の考子や仁者がその親を手厚く葬ることも、また当然の道理であろう。
〇松陰は、「人情というものは愚直であることを大切にするものである。愚直であればあるほど、人情は大切になる」と記してしる。
人というのは動物とは違うということの証でもあると思います。
戦争などをして争ったりす反面、親を大切にして埋葬したりする。
人間とはやはり心があるから考えて行動してくのでしょうね。
人である以上は考えて生きるのが当たりませだと感じますが道理というものはやはりあるんだなぁと感じました。
今日も一日がんばります。