豈に仁義の心なからんや|8月10日のことです。

Release: 2018/08/10 Update: 2018/08/10

豈に仁義の心なからんや

人に存するものと雖も、豈に仁義の心なからんや(中略)旦々に之れを伐る。以て美と為すべけんや。(告子上八章)

ひとにそんするものといえども、あにじんぎのこころなからんや。(ちゅりゃく)たんたんにこれをかる。もってびとなすべけんや。(こくしかみはっしょう)

【訳】
(美しい樹木がうっそうと茂ることがその本性である牛山と同様に)人間も生来の本性の中に、どうして仁義の心がないはずがあろうか。必ずある。(中略)毎日毎日、(木を伐採するように、欲望という)斧や斤で(良心という)木を伐ろ去ってしまえば、どうして(牛山、すなわち心を)美しいということができようか。できはしない。

8月10日、孟子一日一言です。

美しい山に例えられている。牛山とはどのようなところでしょうか。

人間に備わっている善の心は生来のもの。

ここに性善説ということを感じます。

欲望で良心という木を刈ることはいけませんね。

自分の欲があって当然ですが、欲張りはいけません。

生きれるだけでありがとうということもあります。

今日も一日がんばります。

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