豈に仁義の心なからんや|8月10日のことです。

豈に仁義の心なからんや
人に存するものと雖も、豈に仁義の心なからんや(中略)旦々に之れを伐る。以て美と為すべけんや。(告子上八章)
ひとにそんするものといえども、あにじんぎのこころなからんや。(ちゅりゃく)たんたんにこれをかる。もってびとなすべけんや。(こくしかみはっしょう)
【訳】
(美しい樹木がうっそうと茂ることがその本性である牛山と同様に)人間も生来の本性の中に、どうして仁義の心がないはずがあろうか。必ずある。(中略)毎日毎日、(木を伐採するように、欲望という)斧や斤で(良心という)木を伐ろ去ってしまえば、どうして(牛山、すなわち心を)美しいということができようか。できはしない。
8月10日、孟子一日一言です。
美しい山に例えられている。牛山とはどのようなところでしょうか。
人間に備わっている善の心は生来のもの。
ここに性善説ということを感じます。
欲望で良心という木を刈ることはいけませんね。
自分の欲があって当然ですが、欲張りはいけません。
生きれるだけでありがとうということもあります。
今日も一日がんばります。