人間の三段階
Release: 2022/06/03 Update: 2022/06/03
人間の三段階
すべて物事は、三段階に分けて考えることができましょうが、この場合、最もいけないのは、口汚く叱りながら、後になっても一向に悪かったと思わない人間でしょう。
次は事がそんでしまったから、「アアまで言わなくてもよかったのに」と後悔する人間。
その次は、怒りの言葉が出そうになったその瞬間「アッここだ!ここだ!」と喰いとめる人間というふうに、大別してこの三種に岐れるでしょう。
そして最後の、まさに怒ろうとするに先立って「イヤイヤここだ!ここだ!」と自ら制し得る人、これはよほどの修養の至った人でないと、なかなかそこまではいけないですね。【395】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
耐忍、隠忍という言葉を知りました。
とにかく忍耐ということ一つをとっても簡単ではないということです。
石田梅岩先生は忍耐と考えたりしなくてもいいようになることが理想と言っているらしいですがどういう境地なんでしょうね。
叱る、怒るというのはみっともないことだと気づかなくてはいけません。
とにかく感情の先走りを抑えることが必要です。
まったく自分はなっていないと反省するところです。
関連コンテンツ
人生の意義①ローソクを燃やし尽くす 人生の意義とは、たとえて申せば、ここに一本のローソクがあるとして、そのローソクを燃やし尽くすことだとも言えましょう。【51】 どういう生き方をするのか、ということを…
地位をわきまえる そもそも人間の値打ちというものは、人物としてはその上位者よりも、その人の方が優れているとしても、自分の地位が低ければ、それ相当に相手を立てて尊敬するところに、初めて人の心を打つものが…
立志をもって根本とする② 私は、志を打ち立てるところに、学問の根本眼目があると信じるものです。その他すべての事柄は、要するにこの根本が打ち立てられるところに、おのずからしてできてくるのです。【292】…
教えと経験 人間は学校で教わることは、ちょうど地下工事に当たります。その上各人が独自の建物を建てねばなりません。その建物のうち、柱は教えであって壁土は経験です。【134】 #修身教授録一日一言 #森信…
ねばり ねばりというものこそ、仕事を完成させるための最後の秘訣であり、同時にある意味では、人間としての価値も、最後の土壇場においては、このねばりが出るか否かによって、決まると言ってもよいと思うほどです…