菽粟、水火の如くにして|10月28日のことです。
Release: 2018/10/28 Update: 2018/10/28
菽粟、水火の如くにして
菽粟、水火の如くにして民焉ぞ不仁なるものあらんや。(尽心上二十三章)
しゅうじく、すいかのごとくしてたみいずくんぞふじんなるものあらんや。(じんしんかみにゅうじゅうさんしょう)
【訳】
豆や穀物が水や火のように豊富にあれば(人民も自然と礼節をわきまえ)、どうして不仁な者があるであろうか。ありはしない。
10月28日、孟子一日一言の言葉です。
農作物がいつも一定にとれるということは今の時代ですら無理なのですから2500年近く前はもっとひどかったんでしょうね。
不作の年が何年か続けば本当にひどい状態というのは日本の歴史でも多く取り上げられています。
今の世の中はほんとに豊かで買い物にいけば物がありますし食べるに困ることはありません。
しかし、こないだの地震のようなことがあり電気がもっと長いこと止まったらとか思うと危機管理も重要に思います。
今の生活に感謝しなければなりませんね。
今日も一日がんばります。
関連コンテンツ
常に志とともにあれ いやしくも、ひとたび真の志が立つならば、それは事あるごとに、常にわが念頭に現れて、直接間接に、自分の一挙一足に至るまで、支配するところまでいかねばならぬと思うのです。【296】 #…
齢を尊ぶ 松陰先生は、人間にして爵の尊さを知って得の尊さを知らないものは、その愚かなことはいうまでもないが、しかし徳の尊さを知って齢の尊ぶべきを知らないものは、未だ真の人物とは言いがたいということを、…
気品 気品というものは、人間の修養上、最大の難物と言ってよい。それ以外の事柄は、大体生涯をかければ、必ずできるものですが、この気品という問題だけは、容易にそうとは言えないのです。【148】 #修身教授…
チャンスは目の前に 生命を磨き、手入れ、これが教育であるのに、どこに目標がないというのか、生命の拡大と完成とが人の生活であるのに、どこにいったい不満があっておもしろくないのか、何に不明があってうちふさ…
読書の光② 人生の深刻切実な経験も、もしこれを読書によって、教えの光に照らして見えない限り、いかに貴重な人生経験といえども、ひとりその意味がないばかりか、時には自他ともに傷つく結果ともなりましょう。【…