出処進退でわかる人の真価
Release: 2022/07/19 Update: 2022/07/19
出処進退でわかる人の真価
すべて物事は、平生無事の際には、ホンモノとニセモノも、偉いのも偉くないのも、さほど際立って分からぬものです。ちょうどそれは、安普請の借家も本づくりの住居も、平生はそれほど違うとも見えませんが、ひとたび地震が揺れるとか、あるいは大風でも吹いたが最期、そこに歴然として、よきはよく悪しきはあしく、それぞれの正味が現れるのです。同様にわれわれ人間も、平生それほど違うと思われなくても、いざ出処進退の問題となると、平生見えなかったその人の真価が、まったくむき出しになってくるのです。【430】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
常、日ごろの行いが大事ということですね。
人に見られている時だけとか、何か理由があって行う行為はホンモノにならないというのはそうでしょう。
「説法100日、屁一つ」ということわざは知りませんでした。
日々の積み重ねも引き際の悪さで台なしになるという場合はあるかもしれません。
引き際を見苦しくなく過ごすためには常に実践することが大事です。
勇気が必要だと感じました。
関連コンテンツ
教師の資格 真に人を教えるというには、自ら自己の欠点を除き得た人、あるいはむしろ常にわが欠点を除去しようと努力しつつある人にして、初めてできることでしょう。【499】 #修身教授録一日一言 #森信三…
信とは 「信」とはこの天地人生の真実を、一々中身のせんぎ立てをしないで丸受け取りに受け取ることです。すなわちまた、この天地人生の実相をつかんだ人の言葉を、素直に受け入れるということです。【271】 #…
思いやりの源 目下の人に対する思いやりというのは、まず自分自身が、目上の人に対してよく仕えるところから生まれてくると思うのです。【221】 #修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブ…
学校の成績というものは世間でふつうに考えているように、必ずしもその人の素質を確実に窺い得るものとは思いません 。それよりむしろ、その人の素質と努力の相乗積を示すと考えた方がよかろうと思うのです。同時…
世間ではいわゆる篤農家とか、精農と言われるほどの人物は、ほとんど例外なく、非常な読書家だということです。これは二宮尊徳翁のごときは言うまでもありませんが、近くは明治の尊徳とも言われた、秋田の老農石川理…