二度とない人生を⑪
一日不読 一日不喰 書物は人間の心の養分。読書の一面からは、心の奧の院であると共に、また実践へのスタートラインでもある。 森先生のモットーとされたところは「行余学文」です。これは論語の学而篇にある「行 ・・・
一日不読 一日不喰 書物は人間の心の養分。読書の一面からは、心の奧の院であると共に、また実践へのスタートラインでもある。 森先生のモットーとされたところは「行余学文」です。これは論語の学而篇にある「行 ・・・
幸福とは求めるものでなくて、与えられるもの。自己の為なすべきことをした人に対し、天からこの世において与えられるものである。 引き続き、森先生の一代記について略記すれば、恩師西晋一郎先生の勧めによって、 ・・・
絶対不可避なる事は、即絶対必然にしてこれ「天意」と心得べし。 我が身にとって避けようと思っても避けられないことには、自己にとって必然最善と思って甘んじてお受けするだけではなく、これぞ天意にして天命なり ・・・
「立腰道」の究極は、「丹田の常充実に」にあり。 「未発の中」ともいうべきか。 「腰骨を立てること」は、一語に要約して。「立腰」と言われます。「丹田の常充実」とは、丹田しなわち下腹部に、常時、内在力が充 ・・・
つねに腰骨をシャンと立てること これ人間の性根の入る極秘伝なり。 私は三十八歳の時、始めて森信三先生にお会いして以来、実に人生こと、学問のこと、読書のことから、日常生活の細事に至るまで、計り知れない教 ・・・
われわれ人間は、いやしくも「生」この世にうけた以上は、それぞれの分に応じて一つの「心願」を抱き、それを最後のひと呼吸まで貫かねばならぬ。 森信三先生は、よく「内に心願を秘めて」とおっしゃいました。そし ・・・
「死」は人生の総決算である。肉体の朽ち果てた後に、なお残るものは、ただ、肉体が動いている間い為した真実のみである。 徳川時代三百年の間で、いちばん有名な詩人の頼山陽が、十三歳になった正月に、「十有三春 ・・・
「死」の徹見即「生」の充実。 「死」の絶望にボールを投げつけ、そのはねかえる力を根源的エネルギーとし、日々を真剣に生き抜くべし。 この言葉は、「人生二度なし」の内容をより具体的に象徴的に説かれたもので ・・・
人はすべからく「終生の師」をもつべし。真に卓越せる師をもつ者は、終生道を求めて留まることなく、その状、あたかも北斗星を望んで航行する船舶の如し。 森信三先生は「人生形成の原理」として(一)素質(二)逆 ・・・
「信」とは、人生いかなる逆境をも、神仏からわが為に与えられたものとして、回避しない「生」の根本態度をいう。 先生の名言の一つとして、「逆境は神の恩寵的試練なり」とありますが、本項はこの短言名句の解説に ・・・