二度とない人生を⑭
石の趣きが解かり出すということは、物事がわかり出した一つの微標ともいえよう。というのは、この世俗的な相対界を多少は離れかけた一微表といってもよいからである。 「三十五歳前後、唯一の趣味は石であった。但 ・・・
石の趣きが解かり出すということは、物事がわかり出した一つの微標ともいえよう。というのは、この世俗的な相対界を多少は離れかけた一微表といってもよいからである。 「三十五歳前後、唯一の趣味は石であった。但 ・・・
名・利というものは如何に虚しいものか。しかも人間はこの肉体の在するかぎり、その完全な根切りは不可能といってよい。 先生の数多い著述の中でも、めずらしい「隠者の幻」と題する小説風のものがあります。元東京 ・・・
人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に― この言葉は、森先生の語録のうちでも比較的に人口に膾炙され、数多く引用されるコトバです。というには、もっと早い時期にこ ・・・
一日不読 一日不喰 書物は人間の心の養分。読書の一面からは、心の奧の院であると共に、また実践へのスタートラインでもある。 森先生のモットーとされたところは「行余学文」です。これは論語の学而篇にある「行 ・・・
幸福とは求めるものでなくて、与えられるもの。自己の為なすべきことをした人に対し、天からこの世において与えられるものである。 引き続き、森先生の一代記について略記すれば、恩師西晋一郎先生の勧めによって、 ・・・
絶対不可避なる事は、即絶対必然にしてこれ「天意」と心得べし。 我が身にとって避けようと思っても避けられないことには、自己にとって必然最善と思って甘んじてお受けするだけではなく、これぞ天意にして天命なり ・・・
「立腰道」の究極は、「丹田の常充実に」にあり。 「未発の中」ともいうべきか。 「腰骨を立てること」は、一語に要約して。「立腰」と言われます。「丹田の常充実」とは、丹田しなわち下腹部に、常時、内在力が充 ・・・
つねに腰骨をシャンと立てること これ人間の性根の入る極秘伝なり。 私は三十八歳の時、始めて森信三先生にお会いして以来、実に人生こと、学問のこと、読書のことから、日常生活の細事に至るまで、計り知れない教 ・・・
われわれ人間は、いやしくも「生」この世にうけた以上は、それぞれの分に応じて一つの「心願」を抱き、それを最後のひと呼吸まで貫かねばならぬ。 森信三先生は、よく「内に心願を秘めて」とおっしゃいました。そし ・・・
「死」は人生の総決算である。肉体の朽ち果てた後に、なお残るものは、ただ、肉体が動いている間い為した真実のみである。 徳川時代三百年の間で、いちばん有名な詩人の頼山陽が、十三歳になった正月に、「十有三春 ・・・