人生の分水嶺
Release: 2022/09/06 Update: 2022/09/06
人生の分水嶺
人間も、三十五歳から四十歳にかけては、人生を二等分する分水嶺ともいうべき年齢であって、人間も四十の声を聞けば、かの一葉落ちて天下の秋を知るというように、落莫たる人生の秋風を身に感じ始める年配です。それというのも、四十の声を聞く頃には、たいていの人がまず肉体の秋を感じ始めるのが普通といってよいでしょう。ですから、人間も四十を超えてなおかつわが生命の愛惜に思い至らぬというようでは、よほどどうかしていると言われても致し方ないでしょう。【310】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
五十近くになっても日々の生活でこのような下降線に下り坂にいるということを深く考えないというのは実に問題です。
逆になぜ深く考えないのでしょうか。
二度とない人生に対して日々考えない。
まだまだ、明日がないと明後日がないとは思っていないからでしょうね。
日々やれることをやっているだけですね。
なんにしてもすでに後半戦だという意識を持たねばなりません。
そうそう時間はないかもしれません。
関連コンテンツ
人を知る標準② そして第四には、その人の愛読書がいかなるものかということであり、そして最後がその人の友人いかんということであります。大よそ以上の五つの点を調べたならば、その人がいかなる人間であり、将来…
魂の必然 敬うとは、自分より優れたものの一切を受け入れてこれを吸収し、その一切を奪いとって、ついにはこれを打ち越えようとする強力な魂の、必然的な現れと言ってもよいでしょう。【484】 #修身教授録一日…
女性の弛緩は民族の弛緩となり、女性の変質は民族の変質につながります。民族の将来は女性のあり方如何によって決まると言っても決して過言ではないわけです。 #運命を創る100の金言 #森信三 時…
幸いにも、修行期の良寛の心構えが、いかにきびしく、かつ細やかだったかということを窺うべき、一つの手掛りがあるのです。それは「良寛禅師戒語」と呼ばれるものです。何歳頃にできたものか、おそらく相当の年配…
この「尚友」という言葉は、諸君らにとっては、あるいは耳新しい言葉かと思いますが、これは友を尚ぶという意味で、この言葉は読書と並べて、古来「読書尚友」というふうに使われている言葉であります。げんに松陰先…