人間の確立89
「艱難汝を玉にす」とは古いコトバですが、これは甘えようにも甘えることの出来ないような酷烈な境遇に放りこまれることが、人間が真に確立するためには絶対に必要だという事に他なりません。
運命を創る100の金言
#運命を創る100の金言 #森信三
かんなんなんじをたまにす。まず読み方からじゃないですか。人間は苦労・困難を乗り越えることによってりっぱな人物になる。そういうことわざがあるとは知らなかったですね。人生の日々のなかには様々なことがありますよね。ほとんどのことはその瞬間の出来事のような気もしますね。時間が解決するようなことも多いです。数年苦しかったコロナですら今や何事もないような日々ですしね。すべては捉え方ということもありますから常にポジティブになっていないといけませんね。何事にも突っ込んでいくしかありませんね。
本日の修身教授録一日一言は「目下への謙遜」ですが、その前の日の二つに目がいきましたね。
日常生活を充実したものにするとは、一体何なのかと言えば、これを最も手近な点から言えば、
結局自己のなすべき仕事を、少しの隙間もおかずに、着々と次から次へと処理して行くことだと言ってもようでしょう。
すなわち、少しも仕事を留めないで、あたかも流水の淀みなく流れるように、当面している仕事を次々と処理していく。これがいわゆる充実した生活と言われるものの、内容ではないでしょうか。
修身教授録
自分のなすべき仕事の意味をよく知り、その意義の大きなことがよく分かったら、仕事は次々と果たしていかれるはずであって、そこにこそ、人間としての真の修養があるとも言えましょう。否、極言すれば、人生の意義などといっても、結局この点を離れては空となるのではないでしょうか。また実にそこまで深く会得するのでなければ、仕事を真にとどこおりなく処理していくことは、できまいと思うのです。
修身教授録
自分の仕事の意義を真に深く考えることが必要ですね。作業をこなすというのでは若干もったいとも言えますね。仕事をしない人生というのはないわけですからそこに注力することは必要ですね。働き方は人それぞれですが積極的ということになれば生産性などが非常に重要なのは言うまでもないことです。自分の生産性が悪いことを常に念頭にいれることが大切でしょうね。出来ないことをちょっとでも出来るように日々1㎜改善が必要です。
目下への謙遜という部分でも徳目としての謙遜がそう簡単ではないということがわかりますね。真の謙遜とは道を歩む自分をしっかり意識していることが大切だということでしょうか。まったくもって自分は謙遜ではなく卑屈な人間となりますね。自分の人生をどうしたいのか志をもって邁進したいものです。