余分の物を持たない|3月3日のことです。
Release: 2018/03/03 Update: 2018/03/03
ウグイスを見て思うのであるが、一日どれだけのものを食うのであろう。コオロギ、キリギリスに甘露をなめさせたら、いったいどれだけなめるのであろう。チョウチョウ等は、ほとんど何も食わぬように見えるが、何日かの命を保って、美しく舞い、楽しく謳っている。
人間も、余分の物を持たず必要なだけで暮らしていけば、たいして物はいらぬである。こういったとて、物質文化を否定して、物が不要だというのではない。いまはどんなに乏しくとも、びくびくせぬ心境をいうのである。
丸山敏雄一日一話(幸せになるための366話)、3月3日の言葉です。
最低限のもので十分生きていけることを考えなければなりませんね。
実際、年々ものはいらなくなっていますね。
すっぱり不必要なものを処分することも大切です。
しっかりと今なにをもっているかを認識すれば余計なものは必要ないですね。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
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