後半生を何に捧げるか
Release: 2022/04/15 Update: 2022/04/15
後半生を何に捧げるか
人間は自分の後半生を、どこに向って捧ぐべきかという問題を、改めて深く考え直さねばならぬ。その意味において私は、もう一度深く先人の足跡に顧みて、その偉大な魂の前に首を垂れなければならぬ、と考えるようになった。【362】
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後半生になっていると実感はあるものの、今だまだまだ自分の一日をコントロールも出来ていない気が致します。
白髪が増え、生活習慣病なども医者に注意される有様ではどうにもならないわけですが自分の体に関しても気をつかっていかねばならぬとは実感するところですね。
さて、読書ということでさらには伝記を読めと教授はいうわけですが偉人の死にざまというものに着目していくことが必要な気がしますね。
どのように死ぬか。
自分が考える嫌な死に方は考えないうちにというのが嫌な気がします。
常に考えながら死にたい。
後悔でも感謝でもそういう頭が動く状態がいいと思うのです。
そのためにはいろいろと気を使わなければならないと実感します。
頭が元気でなければいけない。何を食べるか、どう運動するかも重要な気がします。
しっかりと考えて行動します。
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