清貧を楽しむ|3月11日のことです。
Release: 2019/03/11 Update: 2019/03/11
清貧を楽しむ
古来、官史・教育家、その他いわゆる俸給者は、多くの物質をもつと、だらだらするのである。それは、物質のかかわりない生活をすべき天職にあるからである。
官史や学校の先生や警察官なんぞが、富商のように豪華な生活をし、金殿玉楼に住んで、何が面白いのだろう。そんなところに、真の喜びはないはずである。
学者も同じことである。貧家に生まれ、清貧を楽しんで、少しばかりの俸給に一身一家をたくして、少しも心を乱さずに勉強し研究し続けた人ばかりが大成している。
3月11日、丸山敏雄一日一話(幸せになるための366話)の言葉です。
こういう仕事につく人は俸給を国とかそこそこ大きな企業からとか財団とかからもらいイメージですね。
貧乏とかそういうのは関係なく勉強する研究する。
そんな人がノーベル賞とかをとるのでしょうか。
将来の世界のためにがんばって研究してほしいと思います。
今日も一日がんばります。
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