考の道|11月9日のことです。
Release: 2018/11/09 Update: 2018/11/09
考の道
どんな境遇の人でも親によって成長しないものはない。にもかかわらず、最も低いレベルにあるのもまた、親に対する考のみちであろう。
或る者は大変親に世話になっていると考え、他の者は親はカタキでこそあれ、けっして恩人ではないという。
はたして親の子に対する仕打ちには、甲乙があるものだろうか。私はただその親より受けためぐみを「知らぬだけ」と断言する。皆それぞれに全をつくして、子を思っている。これを、分量や期間や貧富などですべきではない。
11月9日、丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、今日の言葉です。
考の道。これをしっかり実践する人は偉い人だと思います。
子を育てる親が孝行しないからその子供は孝行しない。
こういうことなのでしょうか。
こういう言葉を聞くたびに自分がいかにダメか痛感しますね。
明日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
関連コンテンツ
喜んで税金を納める人の事業がますます栄え、税を恐れビクビクしたり、いやいやながら納めたり、なるべく納めまいとしたり、期限をおくらせたりする、そうしたけちついた、しみったれた心では、その事業は発展しない…
人は人、自分は自分と別々のいきものだと考えるところに、人の世のいろいろの不幸がきざす。 実は人はわが鏡である。自分の心を映す映像にすぎぬ。 親子、夫婦、交友、隣人、すべてわが鏡であって、わが心のままに…
自分が変わる 苦難は幸福に入る門であり、これがあるから正しい倫理がわかり(風が吹くので空気のあることがわかるように)、正しいレールに乗ると、そこに幸福が待っておる。 妻や子や親、すべて相手を変えようと…
美を磨き出す 春をたずねて、家を出た。青い鳥を慕って、故郷を後にした。気がついてみると、匂う春は庭前一輪の梅花にあった。恋い慕うた鳥は、軒端に戻っていた。香気に満ちた仙境は、わが家であった。 見かけの…
今日はまたとめぐって来ない。 昨日は過ぎ去った今日であり、明日は近づく今日である。 今日の外に人生はない。人の一生は、今日の続きである。 昨日を悔い、明日を憂える人がある。 これは、今日の影法師にびく…