いのちの本体とは|12月28日のことです。
Release: 2018/12/29 Update: 2018/12/29
いのちの本体とは
いのちの本体、これは一体なんだろうか。宇宙大生命、これが、我等の生命の元である。というのは、それは人間の生れ出た根源というだけではない。現に今この大生命との連絡、交通している。一如の相で生きている。その証拠に生きている。「イキ」をしている。
イキは、イキ、イキしていることである。、行っては又来ている。往復している。放射吸引、一刻やすむときがない。
人間が形を解くとき、本体にもどるから呼吸を止めるのである。交通する必要がない。大きい本家にもどったのである。
12月28日、丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、今日の言葉です。
死ねば自然に帰るとうか大宇宙に帰る。
そうかもしれませんね。
人間の形ではなくなる。
身体は停止する。
いずれ来る死というものが自分の本位とする状態じゃなくても人のせいにしたりしない人間になりたいと思いました。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
関連コンテンツ
私達は、今ここでこのまま人にかかわりなく、自分でできることを断乎として行なう、やってのける道が残されている。 「真の働き」とは、そうするだけで例外なく必ず結果が現れるという働きである。喜んで働くことで…
万物には心がある 物は生きている。万物には心がある。物には、我等同胞と同じように敬愛の心を持って接せねばならぬ。 これを知り行なうとき、人は初めて、物から好まれ、恵まれ、助けられる。 わが心の反射鏡の…
万象わが師 自然の真理は百科事典、書籍の索引である。万象は真理の顕現であり、芸術の開花である。 目を開いてこれを見、口をすすいでこれを味わい、心を空にしてこれに対するとき、興味津々、地上は喜びの楽土に…
行きづまりに出あいました時が、芸能の成るか成らぬかの岐れ路です。と同時に、新しい境地に進む一歩手前なのです。 掴んだ境地に満足していたら、進歩の見こみはないのです。一たん進み得た境地も満足できなくなる…
おおらかに育てる 女の子には美しい着物を着せたり、男の子は頭をいろいろにつんだりする。大人のできそこないのようにして玩具にしている。これは愛情と間違えているのであります。 子供は、できるだけ簡素に大ら…