たくましい人間になる
Release: 2022/03/11 Update: 2022/03/11
たくましい人間になる
真の道徳修養というものは、意気地なしになるどころか、それとは正反対に、最もたくましい人間になることだと言ってもよいでしょう。すなわちいかなる艱難辛苦に会おうとも、従容として人たる道を踏み外さないばかりか、この人生を、力強く生きぬいていけるような人間になることでしょう。【83】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
道徳修養ということを意気地が無いと考える人がいるんですね。
自分がいろいろ、この手のことに興味があるから意気地が無いとか考えたことがないんでしょうかね。
偉人のお話、伝記を読んでいくと強い思いというものと道徳修養がない人は偉人とはならないと感じますね。
世の中の根本原理がそうなんですからこのことを考えることは重要ですね。
肉体は老いていくし、いつか死んでしまうものです。
しかし、精神だけは残る。
苦しんだ方がいいんですよきっと。
たくましさはそういうことから生まれる気がします。
関連コンテンツ
自分の「顔」を仕上げる われわれの一生は、ある意味からは、自分という一人の人間の、いわば面作りのようなもので、われわれは一生かかって、この自分の「顔」という唯一つの面を、仕上げるようなものとも言えまし…
いかなる事情がありましょうとも父親軽視の種まきだけは絶対にいけません。と申しますのもわが子が「父親軽視」になり、やがて「父親」に対する不信感に陥りますと、わが子を根本的に駄目にしてしまうからです。 #…
「ハイ」に全人格をこめる あなた方はこの「ハイ」という一語が一体どれほど深い意味を持っているかということは、平素あまり考えていないかもしれません。しかしわたくしの考えでは、人間の人柄というものは、大体…
そもそも人間というものは、単なる理論だけで立派な人間になれるものではありません。理論が真に生きてくるのは、それが一個の生きた人格において、その具体的統一を得るに至って、初めて真の力となるのです。 真…
偉人は自を凡夫と知る 真に偉大な人格というものは、決して自分自身を、偉大であるなどとは思わないでしょう。何となれば、現在自分のなめている苦しみを、単に自分一人だけのものとは思わず、世の多くの人々が自分…