51 人生の真の出発点 修身教授録抄 姿勢を正して声を出して読んでみた
私は、人生の真の出発点は、志を立てることによって始まると考えるものです。古来、真の学問は、立志をもってその根本とすと言われているのも、まったくこの故でしょう。人間はいかに生きるべきか、人生をいかに生 ・・・
私は、人生の真の出発点は、志を立てることによって始まると考えるものです。古来、真の学問は、立志をもってその根本とすと言われているのも、まったくこの故でしょう。人間はいかに生きるべきか、人生をいかに生 ・・・
言挙げする(ことあげ)ことさら言葉に出して言いたてることという意味だと知りました。 何事もわかったような気になって話をしてはいけないということなんでしょうね。 先生は一年間の講義に対してこのように言っ ・・・
とくに国民教育の一隅に身をおくものとしては、教育の窮極目標はこれを一言で申せば、自分の受け持っている子らの一人ひとりが、すべて次代を担うかけがえのない生命だということを、単に言葉の上だけでなくて、身に ・・・
ただ現在の自分の眼前に、ちょこなんとして腰かけている子どもたちに話しているだけでなく、その背後には、常に二十年、三十年の後、かれらが起き上がって活躍する姿を思い浮かべて語る、という趣がなくてはならぬ ・・・
「死生の問題」などと言いますと、諸君らのような若い人は、自分らのような若い者には、そんなことは縁遠いことだと思われるかも知れません。しかし私は必ずしもそうとは思わないです。と申しますのも、われわれ人 ・・・
真の「誠」は。何よりもまず己のつとめに打ち込むところから始まると言ってよいでしょう。すなわち誠に至る出発点は、何よりもまず自分の仕事に打ち込むということでしょう。総じて自己の務めに対して、自己の一切 ・・・
諸君、妙なことを申すようですが、諸君らは将来教壇に立ったら、白墨は太い方から使うがよいでしょう。これを唱えられた人が、私の知っている範囲で二人あります。その一人は泉北の考子、島田安治郎先生であり、今 ・・・
まずもって以前にも調べたと思いますが、白河楽翁公は松平定信ということです。教科書で習った程度と大奥でしかあまり知らないという問題がありますが、今調べた程度の情報しかないので多くは語らないことにします。 ・・・
され教育の力は、何よりもまず教師自身の自覚の力を待つとしたら、さらに一歩すすめて「では、そのような教師の力は、一体どこから出てくるのか」この点を明らかにしなくてはならぬでしょう。 その人によって、 ・・・
自分の眠っている魂を呼び起こすこともなかなかに勇気のいることですから、相当なものがないとなりませんね。 その点は吉田松陰先生はとにかく強い信念を持っていたのが想像つきます。 信三先生ももちろん相当な信 ・・・