下坐行①
Release: 2022/07/15 Update: 2022/07/15
下坐行①
われわれ人間も、どうしても真実を積まねばならぬわけですが、しかし事を積むには、まずどの土台からして築いてかからねばなりません。では人間を鍛えていく土台は、一体どういうものかというに、私はそれは「下坐行」というものではないかと思うのです。【416】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
下座行というものは人知れず事を行うというような他人にはわかりずらいことを継続して行うということですしょうか。
すべては簡単なことなのでしょうが継続するのは簡単ではありませんね。
ゴミ拾い、トイレ掃除、履物を揃えるなど細かく細かく自分を律し行う行為ということでしょう。
教授はこういうことは5年、10年続けることだと言われております。
これは気づかないとなかなか出来ないことでもあります。
毎日の気づきを何かにメモしたりするのもいいかもしれません。
幸いにして私の場合は強制的にやらないといけない都合がありますので逆に幸せかもしれません。
とにかく自分と向き合うことが大切ですね。
関連コンテンツ
仕事の処理は修養の中心 仕事の処理いかんに、その人の人間としての偉さのほどが、伺えるとさえいえるほどであります。 実際われわれは、平生うっかりとしていると、仕事の処理などということに、修養上の一つの大…
苦労の注意点 苦労ということについて、気をつけねばならぬのは、なるほど人間は、苦労によってその甘さとお目出たさとはとれましょうが、しかしうっかりすると、人間がひねくれたり冷たくなる危険があるわけです。…
現代の人々は、自分が人身を与えられたことに対して、深い感謝の念を持つ人ははなはだ少ないようであります。仏教には「人身うけがたし」というような言葉が昔からいわれているのです。つまり昔の人たちは、自分が人…
すべて物事というものは、形を成さないことには、十分のその効果が現れないということです。同時にまた、仮に一応なりとも形をまとめておけば、よしそれがどんなにつまらぬと思われるようなものでも、それ相応の効用…
そもそも人間が志を立てるということは、いわばローソクに火を点ずるようなものです。ローソクは、火を点けられて初めて光を放つものです。同様ににまた人間は、その志を立てて初めてその人の真価が現れるのです。…