下座行②
Release: 2022/07/16 Update: 2022/07/16
下座行②
下座行を積んだ人でなければ、人間のほんとうの確かさの保証はできないと思うのです。たとえその人が、いかに才知才能に優れた人であっても、下座を行じた経験を持たない人ですと、どこか保証しきれない危なっかさの付きまとうのを、免れないように思うのです。【417】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
下座というものを意識出来る人はそうそういるものではないと思います。
言葉自体をまず知らない。
なんともなさけない限りではあります。
真の修養というものはこういうことにあるのだと思います。
5S活動がまず通常でやれなければとても下座行とはいえないでしょうね。
この時の気持ちも大事なように感じます。
なかなか気持ちよく出来るようになるまでには時間がかかるとも思うのです。
道に落ちているゴミを拾う。その時の自分の気持ちが一番の問題です。
攻め心などをおこさないようにしっかり修養しなければなりませんよ。
そう思います。
関連コンテンツ
内面的に強くなる 真の修養とは、何よりもまず人間が、内面的に強くなることです、他の一切のことは、すべてそれからのことです。【476】 #修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ…
真の面目を発揮する 今この真面目という文字を、真という字の次に「の」の字を一つ加えてみたらどんなもんでしょう。そうしますと、言うまでもなく「真の面目」と読まねばならぬことになります。ところがこうなると…
すべて物事というものは、形を成さないことには、十分のその効果が現れないということです。同時にまた、仮に一応なりとも形をまとめておけば、よしそれがどんなにつまらぬと思われるようなものでも、それ相応の効用…
今思いきって着手する方の工夫から申せば、それはちょうどあの水泳の飛び込みの際、「キャタツ」の上から飛び込む際のあの呼吸です。つまり思いきって踏み切り、実行のただ中へ、ざんぶとばかり飛び込むのです。こ…
階段を登る工夫②さりげなく この辺の趣が分からなくては、その人の人生もまだ本格的に軌道に乗ったとは言えないでしょう。そこでまたお互い人間は、逆境の時でも、はたの人から見て、苦しそうに過ごすものではない…