二度とない人生を①

「人生二度なし」-この根本認識に徹するところ、そこにはじめて叡智は脚下の現実を照らしそめると云ってよい。
現代の覚者と呼ばれ、稀代の哲人と称された森信三先生に対して、先生の根本信条は何かと問われると、直ちにお答えになられるのが、この「人生二度なし」であろうと思われます。
それほどまでに、この「人生二度なし」は、森信三先生にとって、南無阿弥陀仏の六字の名号に相当するものであり、まさに金字塔の一枚看板に相当すると申せます。森先生の数多くの啓蒙書の中でも、とりわけ今なを寂光を放つ「修身教授録」にしろ「幻の講話」にしろ、つぶさに読んで見れば、その中心的立場は「人生二度なし」の信条に帰着すると言えます。
それほどまでにこの「人生二度なし」の一語を中心に展開せられたのが、両著述であり、さらに言うなれば、先生の人生哲学も教育哲学もこの一語に帰着するとすら言えそうです。
人生二度なし。当たり前のようでいて、どれほどまでにこのことを意識して日々を過ごしているかと言えば、実にあやふやなものです。
何事にも挑戦して前へ進みたいと願いながらも、日常の慣れや惰性の中でつい流され、読書ひとつとっても読んだり読まなかったりしてしまうのが現実です。
「人生二度なし」とは、ただの標語ではなく、自分の生を本気で生きるための覚悟の言葉なのでしょう。
しかし、その覚悟を持続することがいかに難しいか。私たちは多くのことを「いつか」と先送りし、明日も今日の延長であるかのように生きています。
けれども、今日という日は二度と来ない。明日がある保証もない。その一点に気づいた時、初めて一日一日が貴重に感じられ、時間の使い方が変わってくるように思います。
日々、何を意識して生きるのか。
そもそも「生きる」ということ自体を意識しない日々こそ、最も危ういのかもしれません。
だからこそ、しばらくは森信三先生の本を丁寧に読み、自分の生き方を静かに見つめ直したいと思います。
何が足りないかというと、やはり「意識」の問題が一番大きい。
意識が変われば行動が変わり、行動が変われば人生が変わる――その出発点に立つために、まずは「人生二度なし」という言葉を胸に刻みたいと思います。
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