二度とない人生を③

Release: 2025/10/09 Update: 2025/10/09

人はすべからく「終生の師」をもつべし。真に卓越せる師をもつ者は、終生道を求めて留まることなく、その状、あたかも北斗星を望んで航行する船舶の如し。

森信三先生は「人生形成の原理」として(一)素質(二)逆境(三)師匠の三大条件をあげておられます。それほどに、人間形成にとって、師の存在がいかに大きいか。絶対必然の条件であると言えましょう。師との邂逅で忘れられないのは、かの「松阪の一夜」の有名な話で、本居宣長と加茂真淵先生の出会いであります。この一夜の出会いによって、本居宣長が終生の大業である古事記伝の研究を始められたことは周知の通りです。また熊沢蕃山と中江藤樹との出会いも、忘れがたいものです。馬子の美談をきいてより、一村落に偉大な大導師ありと知り、弟子入りを再三懇願しても許されず、近隣に居を構えてその日を待つという覚悟の時、藤樹先生のご母堂の一言によって許されたという逸話も忘れがたいものです。森先生の語に「天下第一等の師につきてこそ、人間も真に生甲斐ありと言うべし」ともあります。

この「師」という言葉の重みを、歳を重ねるごとに深く感じます。
私自身、常に心の中で「終生の師」を求めていますが、そう簡単に出会えるものではありません。
求めてはいるものの、自分の性格的な部分もあり、人の言葉よりも行動や実績を見てしまう傾向があります。
どうにも「言葉だけの人」を信用できないのです。

しかし、森信三先生が説かれたように、「人生二度なし」である以上、探すことをやめてはいけないのだと思います。
たとえまだ出会えずとも、師を求める姿勢そのものが、自らを磨き続ける道につながるのではないでしょうか。

もしかすると、自分の身の回りにはいないのかもしれません。
だからこそ、時に遠くへ行き、もっと大きな世界に身を置いてみる。
そこに、これまで見えなかった“道しるべ”が現れるのかもしれません。
師を求める旅は、終わりのない学びの旅そのものだと感じます。

#心魂にひびく言葉 #森信三 #寺田一清

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