凝り性と意地
凝り性と意地
凝り性というのと意地というのとでは、必ずしも同じものとは言えない。それというのも凝り性というものは、自分の勉強なりその他何でも、自分の仕事に打込むことであるのに対して、意地という方は、そこに対他的な意味が含まれているからです。【321】
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こういう一面は気を付けないとおかしな事になる場合もありますから純化というような言葉が出てくるのでしょうね。
意地というものの本質は何かと考えると他人に対してとか自分に対してとか、そういう危うさをもっているような気もしますね。
きっと、意地と意固地というものは根本的に違うとは思いますが意地は張っても素直さが大切かもしれませんね。
真の誠
真の「誠」は、何よりもまず己のつとめに打込むとことから始まると言ってもよいでしょう。すなわち誠に至る出発点は、何よりもまず自分の仕事に打込むということでしょう。
総じて自己の務めに対して、自己の一切を傾け尽くしてこれに当たる。すなわち、もうこれ以上はつくしようがないというところを、なおもそれに不足を覚えて、さらに一段と自己を投げ出していく。これが真の誠への歩みというものでしょう。
となると誠実とは簡単なものではないと感じますね。