十年一筋 4
Release: 2023/10/20 Update: 2023/10/20
世には、十年一筋の一道を歩む人は少ない。ましてや二十年、三十年、一筋の道を歩き通す人は稀である。恐らく百人中、二、三人しかあるまい。いわんや、五十年一道を歩むに至っては、千人中二、三人が危うかろう。しかしそれには、さし当たり十年一道をあゆむ。さすれば一応の土台はできる。九十九人が川の向う岸で騒いでいても、自分一人は志した道を歩くだけの覚悟がなくてはならぬ。
#運命を創る100の金言 #森信三
10年一道といのは実際に簡単なことではありませんね。
日記にてもブログにしても10年続けるということは本当に難しいことです。
実際10年意識して続けていることがあるでしょうか。
なかなか無いですよね。
いまから三十年となると相当な歳になってしまいますが、やり切ったといえるようなことが人生には必要だということも確かなことです。
それこそ人生二度なしなんでしょうね。
この後半戦は気合をいれねばなりませんよ。
関連コンテンツ
生命力の弱さがもたらすもの 人間が嘘をつくというのは、生命力が弱いからでしょう。勤勉でないというのも、生命力の弱さからです。また人を愛することができないというのも、結局は生命力の弱さからです。怒るとい…
考えるとは何か 真に考えるということは、その問題が常にその人の心の底にあって、忘れる時がないということでなければならぬのです。【111】 #修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブロ…
下座行② 下座行を積んだ人でなければ、人間のほんとうの確かさの保証はできないと思うのです。たとえその人が、いかに才知才能に優れた人であっても、下座を行じた経験を持たない人ですと、どこか保証しきれない危…
限りなく求めよ 真の修養とは、つねに限りなく求めることの外ないのです。すなわち自己に与えられた生命の限りを、どこまでも生かそうとすることです。【426】 #修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #…
人間は井戸のようなもの 人間の力にはそれぞれ限度があるとも言えますが、同時にまた側面からは、再現がないとも言えるのです。 それはちょうど井戸水みたいなもので、なるほど一方には、水のよく出る井戸もあれば…