天の将に大任を③|12月31日のことです。
天の将に大任を③
人恒に過ちて然る後によく改め、心に苦しみ慮に衡はりて、而る後に作り。色に徴わし声に発して、而る後に喩る。入りては則ち法家払士なく、出でては則ち敵国外患なきものは国恒に亡ぶ。然る後に憂患に生じ安楽に死するを知るなり。(告子下十五章)
ひとつねにあやまちてしかるのちによくあらため、こころにくるしみおもんばかりによこたはりて、しかるのちにおこり、いろにあらわしこえにはっして、しかるのちにさとる。いりてはすなわちほうけひっしなく、いでてはすなわちてきこくがいかんなきものはくにつねにほろぶ。しかるのちゆうかんにしょうじあんらくにしするをしるなり。(こくししもじゅうごしょう)
【訳】
人間というものは、失敗をした後によく悔い改め、心に苦しみ、思案に行き詰まり、悩み抜いてこそ、初めて発憤して立ち上がり、その煩悶や苦悩が顔色にもあらわれ、うめき声となって出てくるようになってこそ、初めて心に悟るものである。国家も同様で、内に代々法度を守る譜代の家臣や君主を補佐する賢者がなく、また、外には対抗する国や外国からの脅威がない時には(おのずから安佚に流れ、ついには)必ず滅亡するものである。(以上のことを考えてみれば、個人によせ、国家にせよ)憂患の中にあってこそ、初めて生き抜くことができ、安楽に耽れば、必ず死を招くということが分かるのである。
〇松陰は、「この章は我が師佐久間象山先生が、江戸伝馬町獄で一日に一度必ず誦読(しょうどく)されたものである。先生は、『掘り出されたままの玉が磨かれて連城という名玉となり、鋼鉄が鍛えられて名剣の干将となったのである。そのためには非常に苦しい琢磨や淬励を受けるのである。』ということを例に引かれ、御自身がこの十年来、海防の問題に苦労し、ついにはそのために獄に入れられることとなったことを述べられ、「これもつまりは天が大任を自分に降そうと考えられてのことである。今後はいよいよ益々我が身を磨き鍛え上げて、天の心に応えねばならない』という意味のことを記しておられた。大体、天が人に才能を与えることは多いが、その才能を完成させるということが難しい。天が才能を与えるとは、あたかも、春夏に草木の花や葉っぱが深く茂るようなものである。しかし、桃や李は、秋冬の霜や雪にあえば、皆枯れ落ちてしまいます。ただ、松や柏だけはそれと異なり、雪の中でも益々青々とその翠たたえている。才能が完成するとは、この雪中松柏の姿のようなものである。人間の才能もこれを同じである。世の中には、年若く気鋭く、その能力が豊かで喜ぶべき者も多く存在する。しかし、人生の艱難困苦を経るにつれて、そのすぐれた気性が廃れ、結局、一俗物になってします者も少なくない。ただ、そのうちにあって、真の志士だけがその艱難困苦に対処して奮い立ち、ついにその才能を完成するのである。私は才能ない者ではあるが、象山先生の教えを受けた者である。桃や李の仲間になって、松や柏に笑われるようなことはできない。まさに我が身を鍛え上げて、連城や干将とならなければならない。以上が、私の本章に対する所感である」と記している。
12月31日、孟子一日一言の言葉です。
最後に相応しい文章ですね。
艱難困苦の中あるからこそ今を保っていられるんでしょうね。
次々起こってくるくるんです。
まだまだなんです。
そうまでならなければ悟ことなどできない。当然のことですね。
来年もきっと苦しいことがあるんでしょうけど喜んで受けいれたいと思います。
憂患の中に立つことが大事だということですね。
今日も一日がんばります。