守成は退歩|7月11日のことです。
Release: 2018/07/12 Update: 2018/07/12
守成は退歩
世に「守成」という言葉がある。「創業はやすいが、守成はむずかしい」と。
創業は新しいことを築き上げて日々進んでいるのであり、守成とは過ぎたものを守っているので日々あとしぎりをしている。進歩のない時は退歩している。進んで新しい研究をしている時のみ進歩があり、勉強を止めた時、後退しているのである。進むことのみが、正しい、明るい。
澄むというのは、進むとき、旧きを捨てるから、世に共に進むのであり、それが生きていることの自然であり、そうなければならぬことである。
7月11日、丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、今日の言葉です。
常に前進、前だけを見て進んでいくしかありませんね。
旧きを捨てる。
だから今の瞬間、次の瞬間をどうするかどうしていくかが大事なんでしょうね。
今日も一日がんばります。
関連コンテンツ
準備はよいか 準備はよいか。用意はできたか。 「用意周到」とは、物に関する方面だけでよいであろうか。 実はこの奥に、こうした物すべてを生かすか殺すか、そのノド首をぎゅっとおさえているものがある。 それ…
悪銭は苦しみの素 たとえばここに、法をくぐって私利を得たとする、その時は得をしたように思う。そうした利益は、その人を幸福にしたように笑みかける。しかしやがては、きばをむき出してその人に反抗し、その人を…
陰の構え 弓道の極意は、的を狙って矢を中てるのではない。的と矢とが一つに合して、自らからにして中たる。矢の連続が的である。射放つのではなくて、的が弦をうながして、その力で矢を引きつけるのである。 的を…
仕事をするのに、上手にやろうとか、仕損じまいとか、きついとか、くさぐさの思いをしている間は、疲れもする、失敗もする。 ただ繰りかえしていると、何も思わない。自然に十分に、力はいつの間にか入って、逆にい…
我の外に何物もなし 実は、世に我の外には何もないのである。我が目で見た花であり、我が耳が捕えた鳥であり、我が手がふれた物質であり、我が全身に知った人類であり、社会であり、科学であり、芸術である。 我あ…