惻隠・羞悪・辞譲・是非の心②|2月21日のことです。
惻隠・羞悪・辞譲・是非の心②
凡そ我れに四端ある者は、皆拡めて之れを充たすことを知る。火の始めて燃え、泉の始めて達するが若し、苟も能く之れを充たさば、以て四海を保んずるに足り、苟も之れを充たさざれば、以て父母に事ふるに足らず。(公孫丑上六章)
およそわれにしたんあるものは、みなひろめてこれをみたすことをしる。ひのはじめてもえ、いずみのはじめてたっするがごとし、いやしくもよくこれをみたさば、もってしかいをやすんずるにたり、いやしくもこれをみたさざれば、もってふぼにつかうるにたらず。(こうそんいかみろくしょう)
【訳】
大体、人間たる者で、この四つの芽生えが生来的に己に備わっていることを自覚している者は、これらを育て上げ、更に立派なものとすれば、(これらは)いくらでも大きなものとなることを知っている。それは火が燃え始めると、どんどん燃え広がり、泉が湧き始めると、どんどん充ちあふれていくのと同様である。仮にも、この四つの芽生えを拡充していけば、仁義礼智はあまねく行われるようになり、天下国家をも安らかに治め、保持するには十分なものとなる。しかし、仮にも、これらを放っておけば、それは手近な父母への孝行一つでさえ、満足にできるようにはならないのである。
2月21日の孟子一日一言の言葉です。
仁義礼智は元からもっているものですからまずは自覚していくことが大事なことですね。
仁義礼智を思ってもなかなか実行していくことは簡単ではありません。
目標や希望は持つべきものですが目の前の欲望に負けてはいけませんね。
仁義礼智を実践実行すれば自分が一番救われるのですから。
今日も一日がんばります。