未だ君を弑するを聞かざるなり|1月27日のことです。
未だ君を弑するを聞かざるなり
仁を賊ふ者、之れを賊と謂ひ、義を賊ふ者、之れを残と謂ふ。残賊の人は之を一夫と謂ふ。一夫の紂を誅するを聞く。未だ君を弑するを聞かざるなり。(梁恵王下八章)
じんをそこなうもの、これをぞといい、ぎをそこなうもの、これをざんという。ざんぞくのひとはこれをいっぷという、いっぷのちゅうをちゅうするをきく。いまだきみをしいするをきかざるなり。(りょうのけいおうしもはっしょう)
【訳】
仁をそこなう者を賊といい、義をそこなう者を残という。残賊の人はもう王でもなく、君でもない。ただ一人の男でしかない。だから、紂という一人の男が武王に殺されたということは聞いているが、家臣がその主君を殺めたということは聞いていない。
〇松陰は、「古代中国では、天が人間をこの世に降し、その中から傑出した人を選んで王として、人民を指導させる。だから、その人が人民を治めるのにふさわしくない場合には天もまた人民を指導せよと命じた職責に基づいて、その人を討つという「放伐」を行わせるのである。我が国は違う。天照大神の御子孫が天地とともに永遠にましますのであり、この大八洲は大神の御子孫である天皇が末永くお守りになるのである。だから、日本人たる者は、天皇と喜憂をともにして、他念をもつべきものではない。この章を読む者は、詳しく思索弁別しなければ、まさに奸臣・賊子への心を開くことになる。」と記している。
1月27日、孟子一日一言の言葉です。
日本と同じような国は世界を探してもそうはない国なんでしょうね。
これだけ長い王がいる国。
どんな時代でも切り離すことのできないむしろ日本の歴史をすべて知っているようなものです。
普段はあまり感じることがないですが心のどこかに常にいる存在なのでしょうね。
今日も一日がんばります。