歌の心|6月14日のことです。
Release: 2018/06/14 Update: 2018/06/14
歌の心
自然の風光に美を見出すということは、実は、内にあるわが心をひらいて美に通じるわが本性を振り立てることである。
「我」とは、小さい肉体に限られているものではない。ほんとうの「われ」は、肉体の外に幾重ものひろがりを持ち、宇宙に充ちている。玲瓏と輝く、限りもなく、きわみもない霊である。
このまだま(真霊)をあるがままの本性に振り立てて、鳴り響かせる。ここに真が輝き、渾然として聖の光耀がある。こうした物心一如の光耀を三十一文字にしらべあげる。これが歌である。
6月14日、丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、今日の言葉です。
短歌に興味を持つことはありませんでしたがこういう文章を作れるのも短歌を読んでいるから素敵な文章が使えるようになったんでしょうね。
短い文章でいろいろなことを感じさせるというのは国語力も必要ですね。
短歌、俳句、書道。
こういったものに興味をもっていくことも表現することを勉強するにはよいかもしれません。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
関連コンテンツ
母は母乳の如く 人を生み、育て、やしなう、これは親の愛である。家庭をつくり、社会をいとなみ、人の世の幸福と文化を生み出だすものとは、人の愛である。 愛の乳は、出しても尽きる時がない。愛は母乳の如く、与…
良き友を持つ 世の中には、よく刻苦勉励する人のみが、終に、芸術最高の妙境に入り、幽玄絶妙の奥堂に至るものです。しかしその努力が、一時的で、間歇的であってはならぬのです。 しかしながら、私どものごとき凡…
陰のかまえ 陰のかまえというのは、一切を受け容れて、対立しない。すべての我を与えて、我なき心境、これは存在の窮極である。 対者がなくなるので、全一におり、統体の真に還る。すべてが我となって、すべてが身…
水使いを嫌うな 私が中学校長をしていた或るクラスに有名なシモヤケのひどい生徒がいた。 ある寒風の吹く日、生徒が教室で掃除をしている。はいって行くとそのシモヤケの生徒がいる。見ると雑巾を二本の棒ではさん…
門を出るとき、玄関を去るとき、ここに一つの引きしまりがつく。そのため多くの場合、門柱があり、看板があり、何か目じるしがある。これは、外部の人に対してだけ何か役に立つというものではない。私自らの心のくく…