死に際は修養の結晶
Release: 2022/11/29 Update: 2022/11/29
死に際は修養の結晶
人間も死に際が悪いと、その人の一生を台なしにしますが、しかし死に際のいかんは、その人の生涯を貫く心の修養の結晶であり、その結実と言ってよいでしょう。それ故お互い人間は、平素から常に最後の場合の覚悟を固めて置かねばならぬと思うのです。【430】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
出処進退。終わりが悪ければすべてが水の泡ということですね。
この締めくくりをどうするかということは実際大きな問題でもあります。
コロナの影響で様々なものが尻切れのような状態で終わりが悪いような感じもします。
先生などの場合、生徒だけでなく寂しい終わり方をした方もたくさんいるのではないかと思います。
何かの要職などもそうです。
自分の問題でなくそうなる場合もあるのですから、普段の行動しか評価の対象になりにくいですね。
思い出してももらえないようでは残念です。
いつでも次はないと思いながら大切に過ごすことを思い出さないといけません。
関連コンテンツ
尊敬の念を持たない人は、小さな貧弱な自分を、現状のまま化石化する人間です。したがってわれわれ人間も敬の一念を起こすに至って、初めてその生命は進展の一歩を踏み出すと言ってよいでしょう。 #運命を創る10…
言葉の深さ お互いに常に耳慣れている言葉というものは、実は曲者であって、耳慣れた言葉が常に新鮮な響きをもってわが心に響くということは、よほど優れた人で、常に進んで息まない人でなければ、容易に至り得ない…
立志をもって根本とする② 私は、志を打ち立てるところに、学問の根本眼目があると信じるものです。その他すべての事柄は、要するにこの根本が打ち立てられるところに、おのずからしてできてくるのです。【292】…
無量の鉱石を掘り起こす お互い人間として最も大切なことは、単に梯子段を一段でも上に登るということにあるのではなくて、そのどこか一カ所に踏みとどまって、己が力の限りハンマーをふるって、現実の人生そのもの…
ホンモノとニセモノ 真実なものと、そうでないもの、ホンモノとニセモノとは、平生は一向にその相違は見えなくても、一たん事が起きると、まごうかたなくその相違が現れるものです。そこでホンモノとニセモノとの相…