死後に名が残る人
Release: 2022/05/28 Update: 2022/05/28
死後に名が残る人
死後にその名が残るということは、その人の精神が残るということです。では一体どういう人が死後にもその名が残るかといいますと、生前国のために尽くす心が深くて、死んでも死に切れないとうい思いに、その一生を送った人でしょう。すなわち、その人の国をおもい世をおもうその思いの深さが名という形をかぶって、死後にまで生き残るのです。【88】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
なるほど、ここでそのようなたいそうな人物に自分はなれないとかそういう風に思ってしまうこと自体がなんともせつなく浅はかな気もします。
自分が死んでも名が残る人というのはこういうことも考えないのかもしれませんが。
今の自分の状況がどうであってもその気持ちの強さが必要なんでしょうね。
我の強さはまだまだ取れることはなく、欲にまみれているのでしょう。
今自分ができる最大のことをすることくらいしかできませんが、生ききることはしなければいけません。
こんなを考えているからTikTokは政治問題ばかり出てくるのでしょうか。
参政党がいっぱい出てきます。
関連コンテンツ
志学という言葉は、諸君らもすでにご存じのように、論語の中にある言葉です。すなわち「吾れ十有五にして学に志す」とあって、孔子がご自身の学問求道のプロセスをのべられた最初の一句であります。 これは言い換え…
「約束ごと」を守る 社会秩序の上における上下の関係というものは、いわば世の中の「約束ごと」とも言うべきものでありますから、これを踏み外すということは、同時にそのまま、世の中そのものから踏み外して、社会…
教えの力、教えの光 他人、とくに自分の平生親しくしている同級生とか同僚などの、優れた点に気付くということは、結局その根本において、教えの力によらなければならぬでしょう。 つまり人間というものは、教えの…
この「葉隠」という書物は、佐賀の鍋島藩の武士道を説いたものです。 「武士道とは死ぬことと見付けたり」という言葉が最初出てくることで有名です。すなわち武士道の極意は、常に死の覚悟をしていることが第一だと…
偉大なる実践家は大なる読書家 そもそもわれわれは、真の確信なくしては、現実の処断を明確に断行することはできないのです。ところが真に明確な断案というものは、どうしても道理にすることによって、初めて得られ…