清愛|6月20日のことで。
Release: 2018/06/20 Update: 2018/06/20
清愛
私は、実は修学のため遠く遊んで、母の死にあっていない。
ことあって独居沈思の永い閑居を得たとき、これまで父母に対して重ねた不孝、自ずからにして胸つぶれ、涙さん然として止めがたい。ただ壁に向かって端坐し泣きつづけた。このとき、はじめて偉大なる父の愛、無限なる母の愛にふれた。
人間愛は、涙の洗浄をまって、はじめて清愛となることを知った。
純乎たる人間愛は、無条件である。出せばますます美しく、与えれば無限に流れ輝く。
6月20日、丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、今日の言葉です。
人はいつ何時なにがあるかわかりません。
いきなり明日入院ということもあり得るのです。
しかし、その苦境をどういう考えで乗りきるのかどういう気持ちでのぞむかで大きく違います。
感謝ということを考えたとき、今生きているということを考えたとき親ということを考えないわけにはいきませんね。
涙を流すほど考えることがあってもいいんだと思います。
溢れる涙で心は洗われる。
涙をいつ流したかわからないですね。
感動に敏感になりたいものです。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
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