私欲の一関を越える
Release: 2022/03/14 Update: 2022/03/17
私欲の一関を越える
私意私欲の一関を突破するということは、口で言えばただそれだけのことですが、しかしいざわが身のこととなると、決して容易なことではありません、しかし人間も、一たび私欲の一関を越えますと、一切の対人関係が明らかに見えて来ます。その明らか筋道に従って行えば、みな道にかなうわけです。【463】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
世の中を愉快に過ごすためには人のためを考えることが大事だということですね。
しかし、人間は自分が好きで本能的に自分のためにという部分があるので意識しないと駄目な部分もありますよね
まずは誰かのためにという視点が必要なんでしょうね。
まずは自分は何を出来るかということを考えていきたいと思います
関連コンテンツ
世には、十年一筋の一道を歩む人は少ない。ましてや二十年、三十年、一筋の道を歩き通す人は稀である。恐らく百人中、二、三人しかあるまい。いわんや、五十年一道を歩むに至っては、千人中二、三人が危うかろう。し…
日常の雑事雑用をいかに巧みに要領よくさばいていくか。そうしたところにも、人間の生き方の隠された呼吸があるということです。 #運命を創る100の金言 #森信三 雑事雑用の撲殺されている毎日ですが、要領よ…
ここにして遙けくもあるか夕ぐれてなほ光ある遠山の雪 島木赤彦 わたくしの好きな歌の一つです。これも前の時間やその前の時間にご紹介したのと同じ山頂で詠んだ歌ですが、しかしこの歌は、そうした一連の歌の最後…
男子の仕事は大たい自分の仕事に集中して、それを持続すればそれで済むまわですが、女子の根気は、主婦として、妻として、また母として、その為にすべき仕事があらゆる面の事柄をまんべんなく気を配り心を使って、…
私達は生命の真の趣を知るには、動物よりもかえって植物による方が便利だとも言えるわけであります。そこでかの尊徳翁のごときも、その偉大な悟りの世界は、もちろんその根本は、翁自身の深い体験によることではあ…