第三十夜 輪廻も人道を尽くすことにより発展途上する

儒教では循環といい、仏教では輪廻転生といっているのは、つまり天理天道なんだな。
循環とは春は秋になり、暑は寒となり、盛は衰に移り、富は貧に移るという、輪、転というのもまた同じことだ。
仏教では、輪廻転生から抜け出して、極楽に生れることを願い、儒教であh天命を恐れ、天につかえて泰山のごとく安定した境地にいたることを願ってるんだ。
これに対しワシの教える道では、貧を富にし、衰を盛んにし、循環や輪廻を抜け出して、富盛安楽の境地にすめるようにするものなんだよ。
果物の木というのは、今年大いに実れば、翌年には必ず実らぬものだ。このことを世間では年切りといってる。これは循環輪廻の理で天道だ。
これを人為でもって年切りなしに毎年ならせるには、枝を伐りすかし、またつぼみの時に摘み取って、花を減らし、数度肥料をやれば、年切りなしに、毎年同じように実るんだ。
また人の財産に盛衰、貧富があるのは、つまり年切りなんだ。親は努力したが、子は怠け遊んでいるとか、親は質素倹約に勤めたが、子はぜいたくな暮らし振りだったとか、二代、三代と続かないのは、いわゆる年切りであって、天道の循環輪廻なんだな。
年切りが起こらぬことを願うならば、果物の木を見習って、人道を尽くすべく、ワシの言う推譲の実行に勤めるようにせねばならんのだよ。(一五三)
自然の理に従えば、富める者もやがて貧しきに、盛んな時もやがて衰える。これを儒教では「循環」と呼び、仏教では「輪廻転生」と説く。いずれも天の道、避けがたきものとして受け入れ、そこからの脱却を願う。
しかし、二宮翁の教えは一歩先を行く。それは「循環を断ち切る道」だ。富を保ち、盛を持続させるためには、自然のままに任せるのではなく、工夫と努力による人為が要る。果樹を例にとれば、摘花・施肥・枝の間引きといった手入れによって、年切りを防ぎ、毎年実りを得ることができる。
人の暮らしもまた同じ。富や徳が子に伝わらぬのは、単なる運命ではない。先代の苦労を顧みず、怠惰や奢りが入り込むことによって、盛から衰へと落ちていく。だからこそ、「推譲」――すなわち知恵や徳を譲り、勤めを推し進めることが必要なのだ。
天の理を知りながら、それを超える工夫を怠らぬこと。ここに人の道がある。
今日もはここまでです。
ありがとうございます。
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