第九夜 怠ければ天道で、人道はおのれに克つ

天理と人道の違いをはっきりと区別できる人は少ないんだ。
人間であれば欲がある。これは天理というものだ。まるで田畑に草の生えるのと同じなんだ。堤は崩れ、堀は埋まり、橋は朽ちる。こういうのはみんな天理なんだ。
それだから人道というのは自然に出て来る私欲を抑え、田畑の草を取り払い、堤防を築き、堀をさらい、橋をかけ換えるなど、こういったものはすべて人道なんだ。
このように天理と人道は全く別のもんだから、天理は永遠にかわらんが、人道っていうのは一日でも怠ればたちまち駄目になってしまうんだ。だから人道っていうのは努力することが大切なんで、自然のままただ放っておくのはよくないことなんだよ。
人道でとくに努力せねばならぬのは「おのれに克つ」という教えだな。
おのれとはつまり私欲のことだ。私欲は畑の中の草のようなものだから、おのれに克つというのは、この田畑に生える草を刈り捨て、わが心の米麦を繁茂させていく努力のことで、これこそ人道というものさ。
「論語」に「己に克ちて礼に復る」、つまり自分に打克って礼の規則に立ちかえると書いてあるのはこの勤めのことなんだ。(六)
「天理」と「人道」はしばしば混同されがちですが、翁の言葉はその違いを明快に教えてくれます。草が自然に生えるように、人の心にも欲は自然に生まれる。それ自体は否定されるものではなく、むしろ自然の摂理として受け入れるべきものです。しかし、それに流されず、自らを律し、環境を整えていくのが「人道」であるという考え方に、深くうなずかされました。
人道は一日でも怠れば崩れる――まさに経営においても、制度や仕組み、信頼や秩序は放っておけば自然と衰えます。だからこそ、自分に克ち、整え続ける努力を怠ってはならない。畑の草を取り除き、耕し、実りを待つように、自分自身の欲を見つめ、抑え、磨いていくことが、人の道を歩むということなのだと感じます。
「おのれに克つ」とは、対外的な努力ではなく、日々の内面への問いかけ。経営の場においても、最も厳しく、そして最も大切な戦いの場かもしれません。
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より時間効率を上げるために学ぶ必要があります。
今日もはここまでです。
ありがとうございます。
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