第二十九夜 草の彼岸

彼岸という文字は「梧窓漫筆」(太田元貞著、学芸道徳に関する随筆集)という本によれば、もとは儒書から出たもんだと書いてある、という学者がいたのでワシはこう言ってやったんだよ。
「文字の出所はよく知らんが、彼岸というのは仏教の教えなんだ。なぜなら、この岸を離れて彼の岸に行くということだから、寒から暑に移るのを彼岸といい、暑から寒に移るおを秋の彼岸という。いま草を例にとって説明してみると、春の彼岸は種の岸を離れて草の岸に行くことであり、秋の彼岸は草の岸を離れて種の岸へ行くことなんだな。
すべてのものは、この岸を離れなければ彼の岸へ行くことができあい。だから草から草が生ずることもなく、種から種が生ずることもない。あるときは草となり、あるときは種となって、すべての草は相続を続けていくんだ。
これがいわば輪廻転生の理というもんさ。だから彼岸は仏意なことは明らかだ。この季節に先祖をまつるようになった、その起こりは儒教も仏教も同じ考え方に立つもんだろうよ」。(続二〇)
彼岸とは「この岸」を離れて「彼の岸」へ渡ること。
それは季節の移ろいにおいても、春には種が草へと姿を変え、秋には草が種へと帰るという循環の表れである。春の彼岸は発芽の始まり、秋の彼岸は枯れゆくなかで次なる命を内包する時。どちらもただ一方ではなく、移り変わること自体に意味がある。
草も人も、あるときは芽吹き、あるときは実り、やがてまた静かに種となって次を託す。この変化の連なりが「相続」であり、仏教でいう「輪廻転生」である。
目の前の形や状態に固執するのではなく、いまの在りようが次へどうつながるのかを見据える視点が必要だ。彼岸とは、単に季節の節目ではなく、「超えていく」ことそのものを意味しているのだ。
今日もはここまでです。
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