第二十六夜 輪廻盛衰は父富み子貧し

訪れてきた者に、ワシが「誰それの家は無事にやっているかね」とたずねたら、その者が言うに、「あの人の父親は家業に精を出し、村でも一番の働き者だったんで、儲けも多く、豊かな暮らしぶりだったが、その子は、とくに悪いというわけじゃないが、肝心の家業に熱心でなく、耕作も行きとどかず、ただ蒔いて刈り取るというだけで、よい肥料をやるのは損だなどといって、田畑を肥やすことの大切さを知らないんだ。だから父親が死んで、わずか四、五年なのに、上田、下田になり、よい畑もだめな畑となって、作益もなくなり、このごろでは一家の暮らしにもさしつかえるようになってしまいました。」とのことだった。
そこで、ワシはまわりにいる者たちをふり返って、こう説教してやった。
「みんな今の話を聞いたかね。これは一軒の農家の話だが、実は自然の大道理を表してしるんであって、天下国家の興廃滅亡もまた同じなんだ。
ただ肥料をやり作物をつくるのと、財政をうまく運用して領民を養い、民政に力を尽くすとの違いだけなんだ。国が滅びるのは民政が行きとどかないからだ。民政がいきとどかないと村里では堤防や水路がまず破損し、ついでに道や橋がいたみ、耕作地へも行きにくくなる。堤防や水路がこわれると、川沿いの田畑がまず荒れてします。用水路や排水路がこわれれば、高い田には水が引けず、低い田は悪水がたまって耕作できなくなってします。道が悪くなれば牛馬も通れないし、肥料も行きとどかず、精農家でも手のほどこしようもなく、このため作益はなく、遠いところや、不便なところの田畑は捨てざるをえなくなり、耕地が減るから作物が減り、食物も減るんで、人民は離散する。農民が減り田畑が荒れれば租税がへ減るのは当然で、そうなれば領主が困ってくる。これは前の話のように農家の興廃と少しも違うところはないんだ。みんなもよく気をつけることだな。
たとえば、上国の田地は多少耕作の手が行きとどかなくても、温泉が自然に温かなように自然の力でおぎなって作益があるが、下国の田地は冷水のようなもので、これを温めるように、人力を尽くせば作益はあがるが、人力を尽くさなければ作益はあがらないんだ。つまり、下国辺境の人たちが離散して過疎地となり田畑が荒れてしまうのはこのためなんだよ。」(一三七)
一軒の農家の衰退は、国家の衰退とまったく同じ構造をもっている──このたとえの鋭さに打たれる。
父の代に繁栄した家が、子の代に衰えるのは、努力や工夫を怠り、目先の効率に流されてしまった結果だ。耕作は「蒔いて刈る」だけでは成り立たない。肥料をやり、手入れを惜しまず、土地を慈しむことで初めて、収穫がもたらされる。
これは経営にも通じる。民政の衰えが水路や道を壊し、ついには耕地が荒れ、民が離れ、税が途絶え、国家の屋台骨が崩れていく。企業経営でも、目先の利益ばかり追えば、顧客も従業員も離れ、やがて組織は痩せ細る。
上国(豊かな土地)は、たとえ多少手を抜いても自然が補ってくれるが、下国(不利な土地)では人力を尽くして初めて成果が出る。これは、条件が厳しい組織や地域こそ、手間を惜しまぬことの大切さを説いている。
すべての繁栄は「耕し続けること」から生まれる。土を見つめる心を、組織にも社会にも持ちたい。
今日もはここまでです。
ありがとうございます。
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