脚下の実践 11
Release: 2023/10/29 Update: 2023/10/29
人はそれぞれに年代に応じて真剣な生き方をして参りますと、七十歳代、八十歳代は、まことに自由闊達な境涯に恵まれて、真の生き甲斐ある人生が送れるのではないかと思われます。人生の見通しを立てるとともに、いま一つ、脚下の実践にどれだけ真剣に取り組めるかどうかということこそ、その人の人生に対する徹見透察の如何によるといってもよいかと思われます。
#運命を創る100の金言 #森信三
年齢の問題というのが出てきますね。
重要な年代はすべての年代なのでしょうが、やはり体の自由が利かなくなったり、あまり必要とされる実感がなくなったりした時にどう考えて一日を過ごしていくのかというのは重要な問題です。
老害と思われるような人にはなりたくないものです。真剣に生きたと言われるためには今からの実践に他ならない。
好きだね~と思われても貫いていく。
今が我慢のしどころかもしれません。
商売にも経営にも終わりはありませんし、時代とともに変化するものをいくつになっても挑戦していきたいものです。
今日もがんばります。
関連コンテンツ
本質を見失うな② 自分のなすべき当面の仕事をなおざりにしておいて、他の方面に力をそそぎますと、仮にそうして力をそそいだ方面は、根本的な事柄であり、またその努力がいかに大きなものであっても、こういう人は…
才能とは磨かれるもの 井戸水も、これを鶴瓶で汲み出さなければ、地上にもたらして、その用に充てることはできず、また鉱物も鉱石もそのまま地中に埋もれていたんでは、物の用に立たないように、今諸君らにしても、…
人間の締りというものは、ある意味から申せば、その人が家庭において、如何に心を引き締めているか、その心構えの反映といってもよいでしょう。例えば弁当箱ひとつにしても(一)家へ帰れば、自分の弁当箱だけはす…
人は一時期下積みになっても、それは将来の土台づくりであり、一時の左遷や冷遇は、次の飛躍への準備期間であり、忍耐力・持久力の涵養期として隠忍自重して、自らの与えられたポストにおいて、全力発揮を怠らなかっ…
書物を撫でる 諸君、書物というものは、ただ撫でるだけでもよいのです。ちょっとでも開いてみればさらによろしい。それだけでも功徳のあるものです。つまりそれだけその本に縁ができるからです。いわんや一ページで…