道を以て身を殉ず 身を以て道に殉ず|11月15日のことです。
Release: 2018/11/15 Update: 2018/11/15
道を以て身を殉ず 身を以て道に殉ず
天下道あれば道を以て身を殉ず。天下道なければ身をを以て道に殉ず。未だ道を以て人を殉ずる者を聞かざるなり。(尽心上四十二章)
てんかみちあればみちをもってみをじゅんず。てんかみちなければみをもってにみちにじゅんず。いまだみちをもってひとにじゅんずるものをきかざるなり。(
じんしんかみよんじゅにしょう)
【訳】
天下が治まって道が行なわれている時には、道を我が身に従え、我が身が道の主体となって、世の中に道を行う。もしも天下に道が行なわれていない時には、退いて我が身を道に従えて(道にかなった行いをし)、一身に潔くすることに専念する。だから、正しい道を犠牲にして他者に従うなどということは、一度も聞いたことはない。
11月15日、孟子一日一言の言葉です。
とにかく正しい道理に従って生きることが大切だということでしょうね。
真理はどんなに文明が進んでもかわることはないものですね。
孟子の生きた時代も今の時代も正しいことは常に変わることはありませんね。
ただ、自分がやれるかやれないかの基準をしっかりもって実行するかどうかにかかっているのでしょうね。
今日も一日がんばります。
関連コンテンツ
夜以て日に継ぎ 其の合わざるものあれば仰いで之れを思ひ夜以て日に継ぎ、幸いにして之れを得れば坐して以て旦を待つ。(離婁下二十章) そのあわざるものあればあおいでこれをおもいよるもってひにつぎ、さいわい…
君の臣を視ること手足の如ければ 君の真を視ること手足の如ければ、則ち臣の君を視ること腹心の如し。君の臣を視ること犬馬の如ければ、則ち臣の君を視ること国人の如し。(離婁下三章) きみのしんをみることてあ…
過小・大 凱風は親の過小なるものなり。小弁は親の過大なるものなり。(告子第三章) がいふうはおやのあやまちしょうなるものなり。しょうばんはおやのあやまちだいなるものなり。(こくししもさんしょう) 【訳…
君子の人に異る所以 君子の人に異る所以は、其の心を存するをもってなり。(離婁下二十八章) くんしのひとにことなるゆえんは、そのこころをそんするをもってなり。(りろうしもにじゅうはっしょう) 【訳】 心…
夫れ物の斉しからざるは物の情なり。(滕文公上四章) それもののひとしからざるものはじょうなり。(とうぶんこうかみだいよんしょう) 【訳】 そもそもどんなものでも違いあって同じではないということは、もの…