齊人をして|4月8日のことです。
「此に楚の大夫あらんに、其の子の齊語せんことを欲するや、則ち齊人をしてこれに傅たらしめんか、楚人をしてこれに傅たらしめんか」。曰く、「齊人をしてこれに傅たらしめん」。(滕文公下六章)
「ここにそのたいふあらんに、そのこのせいごせんことをほっするや、すなわちせいひとをしてこれにふたらしめんか、そひとをしてふらしめんか」。いわく、「せいひとをしてこれにふたらしめん」(とうぶんこうしもろくしょう)
【訳】
(孟子が宋の大夫戴不勝(たいふしょう)に)「今、ここに楚の大夫がいるとします。(楚国の言葉は下品だから)自分の子供には(上品な)齊国の言葉を話せるようにしたいと思ったら、齊の人をお守り役とするでしょうか。それとも楚の人をお守り役とするでしょうか」と聞いた。(戴不勝は)「もちろん齊の人にするでしょう」と答えた。
孟子一日一言、4月8日のことです。
松陰はどう考えてこの言葉を選んだのでしょうね。
前と後を知らないとなんとも言えない文です。
きっとすでに齊の言葉を話せるようにしたいと思うこと自体が齊の人によっていることだからでしょうか。
私は北海道の人間ですか他の地域の言葉を使いたいと思いませんし、自分の子供に対してもそう思います。
言葉はとっても大事ですが問題は言葉の中身だと思います。
今日も一日がんばります。