15 尚友とは 修身教授録抄 姿勢を正して声を出して読んでみた

Release: 2025/03/23 Update: 2025/03/23

この「尚友」という言葉は、諸君らにとっては、あるいは耳新しい言葉かと思いますが、これは友を尚ぶという意味で、この言葉は読書と並べて、古来「読書尚友」というふうに使われている言葉であります。げんに松陰先生も、「士規七則」の中に使われている言葉であります。では何故われわれは、友を尚ぶ必要があるのでしょうか。一方から言えば、友人は自分の同輩であります。そうした友人を、何故とくに尚ぶと言うかというように、畢竟これは道の上から言うことであります。すなわちその友人が道の上からは、自分より一歩ないし数歩すすめており、したがって自分は、その友において大いに尊敬すべきものを認めるという時に、初めて友を尚ぶとなるわけです。
修身教授録

道の上から数歩進んでいる友人。

考えてみるとそういう友人というには多いものですね。

友人をそのような視点で普段は見ておりませんが、実際様々にたくさんのことを自分をより進んで実行しているようにも感じます。

これは多少なりとも意識して友人と付き合わなければなりませんね。

本日の森信三一日一言は

人は孤独に徹することによって、初めて心眼がひらけてくる。

けだしそれによって相対観を脱するからである。

相対観を脱するとは、神との対話の日暮らしとありますが、これもまた難しい表現ですね。

孤独に徹するのは実際辛いことですね。

人間の老年期とはそのようなこととの戦いなのでしょうか。

深く自分を見つめる時間というのは孤独なものなのでしょう。

自然とそのような時が来るよな気もします。

本日の伝記は

ジョセフ 彦 (じょせふ ひこ)

日本を開国へ導いた先導者 【ジョセフ彦が十三歳のとき船が遭難。そしてアメリカ船により救出され、以後九年近くアメリカに滞在した。アメリカ文化を身に付け、アメリカ人となっての帰国。時は開国に向かおうとする激動の幕末であった。日本を開国に導くため、彼は新聞発行を決断する】

明治の偉人というのは、海外に行っている人が多いように感じます。

その一番最初の自分ということになるのでしょうか。

小泉 八雲 (こいずみ やくも)

欧米に対する日本の代弁者 【両親から捨てられたハーンは、長い旅路の果てに日本に辿り着き、ついに安住の地を得た。西洋の近代文明が見失いかけていた何かが日本には残っており、それが孤独な彼の魂を癒したのである。彼は生涯、日本文化を西洋に向けて発信し続け、日本の偉大な代弁者となった】

辛い幼少期だと思います。あちこちの国を転々とするというのは大変です。

日本を日本人以上に愛した人なのでしょうね。

高峰 譲吉 (たかみね じょうきち)

ベンチャービジネスの先駆者 【明治の時代、日本人がアメリカで生活することは簡単なことではない。まして競争社会のアメリカにおいて、ビジネスで成功することなど考えも及ばないことである。それを成し遂げた人物が、高峰譲吉である。人におもねることのない高い「志」、そして高潔な人格。日本人の誇りとして今なお語り伝えられる】

人生はチャレンジだと改めて感じます。

しかし、導かれるような運というものも存在してるのだろうと感じます。

高い志で成功をおさめた人なんでしょうね。

世界に誇れる日本人100人 (第1巻) 真理探究に人生を捧げた孤高の学者10人

https://amzn.to/3X6BxgG

世界に誇れる日本人100人 (第2巻) 人材育成に情熱を捧げた13人

https://amzn.to/3X6G5DY

世界に誇れる日本人100人 (第3巻)世界が認めた日本人11人

https://amzn.to/3zbznCB

世界に誇れる日本人100人 (第4巻) 世界との架け橋となった12人

本日はここまでです。ありがとうございます。

HOME


関連コンテンツ


コメントはお気軽にどうぞ

メールアドレスは公開されません。
また、* が付いている欄は必須項目ですので、必ずご記入をお願いします。

内容に問題なければ、下記の「コメントを送信する」ボタンを押してください。

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.