19 捨欲即大欲 修身教授録抄 姿勢を正して声を出して読んでみた

人間は、自ら積極的に欲を捨てるということは、意気地なしになるどころか、わが一身の欲を打ち越えて、天下を相手とする大欲に転ずることとも言えるのです。しかるに世間多くの人々は、欲を捨てるということを、単に言葉だけで考えているために、捨欲の背後に大欲出現しつつあることに気付かないのです。そしてこのよな背後の大欲が見えないために、欲を捨てるとは、意気地なしになることくらいにしか考えられないのです。
とことが人間が真に欲を捨てるということは、実は自己を打ち越えた大欲の立場にたつということです。すなわち自分一身の欲を満足させるのではなくて、天下の人々の欲を思いやり、できることなら、その人々の欲をも満たしてやろうということであります。
修身教授録
欲にも種類があるということですね。
自分自身の欲では人はなかなか動けないものです。
それがやはり誰かのためとなると大いなる力を発揮できる一面を忘れてはいけないですね。
自分の欲を捨てるともっとも大きい欲が現れるのでしょうね。
希望というのはこういうことから生まれるのでしょう。
本日の森信三一日一言は
この地上には、一さいの偶然というべきものはない。
外側からみれば偶然と見えるものも、ひと度その内面にたち入って見れば、ことごとく絶対必然だということが分る。
偶然という人の内面をしっかり見なければなりませんね。
常日頃の努力がないと生まれないものがある。
スポーツなどはまさしくそういう場面が多いかもしれませんね。
オリンピックも楽しみですね。
本日の伝記は
梅屋 庄吉 (うめや しょうきち)
東洋平和の夢を孫文と共有 【中国で革命を志した孫文を支え続けた梅屋庄吉。二人の友情は、香港での出会いから始まった。二人は東洋平和の夢を共有し、日中親善の実現を心底願っていた。中国の革命はそのための第一歩であったのである。庄吉の生涯は、その夢のために捧げられたものであった】
中国の革命を支えた日本人がいたのはよく知らなかったです。
世界で活躍する日本人が明治の時代には本当に多いですね。
今日の先生の話ではありませんが、すべては自分の欲を捨てることから始まる気がします。
今日読んだ以上にたくさんの出来事があったはずですね。
どこかの機会で深堀していかなばいけないですね。
本日はここまです。
ありがとうございました。