第十六夜 殺生を戒めても
日光温泉へ行ったとき、ある者がワシに向かって、 「日光じゃ他国の魚鳥を食べることは禁じているというのに、地元の日光山中で魚鳥を殺すことは禁じてない。ふつうは神社や寺のあるところでは、境内に近い沼地、山 ・・・
日光温泉へ行ったとき、ある者がワシに向かって、 「日光じゃ他国の魚鳥を食べることは禁じているというのに、地元の日光山中で魚鳥を殺すことは禁じてない。ふつうは神社や寺のあるところでは、境内に近い沼地、山 ・・・
ある人が、「老子」に「道の道とすべきは常に道にあらず、云々」とあるのは、どんな意味かとたずねたので、ワシはこう答えてやった。 老子が「常」と言ったのは、天然自然で永久不変のものを指して言っているんだ ・・・
ある人がワシのところに来て、大に道を論じたが、どうも話の筋道が通らない。そこでワシはこう言ってやったよ。 あんたの説は、悟道と人道をごっちゃにしてるんで、わからなくなってしまうんだ。悟道の立場から論 ・・・
咲けば散り散ればまた咲く年ごとに ながめつくせぬ 花のいろいろ 貧乏なり、どうしようもなくて、売りに出した物を、一方ではこれは安いもんだと喜んで買う者がいる。また、運が ・・・
世の中で用に立つ材木はみんな四角だな。しかし天は人間のために四角な木なんか生育させない。だから全国の山林に四角な木はなんだ。 また、皮も骨もないかまぼこやはんぺんのような魚がいると人間に便利なんだが ・・・
動物の生き方を畜道と読んで人はこれを賤しく思っているが、実はこれは天理自然の道なんだ。 これに対し、人が尊ぶ人道は天理にしたがうように見えても、人間のために人がつくった道なんだだから畜道とは違って自 ・・・
人道とは人がつくるものなんだから、自然に放っといても行われていく天理とは全く別のものなんだよ。 天理というのはたとえば春には芽が出て、秋には枯れるとか、乾いたものには火がよくつき燃えやすいとか、水は ・・・
天理と人道の違いをはっきりと区別できる人は少ないんだ。 人間であれば欲がある。これは天理というものだ。まるで田畑に草の生えるのと同じなんだ。堤は崩れ、堀は埋まり、橋は朽ちる。こういうのはみんな天理な ・・・
ほととぎすなきつるかたをながむれば ただ有明の 月ぞのこれる この歌の意味は、たとえていえば、昔の鎌倉時代には首都として繁華を極めたが、いまでは、その跡だけが残っていてもものさびしいありさまだなあ、 ・・・
天道というのは自然に行わる道であり、人道は人が立てた道なんだ。がんらい区別がはっきりしているのに、これを混同づるのは間違いだよ。 人道は人の力で努力し維持し、自然に流動する天道に押し流されないように ・・・