26 共に道を歩む者 修身教授録抄 姿勢を正して声を出して読んでみた
真の偉人というものは、何も叱ったりなどしなくとも、人が自ら服するものであります。実際偉大な先生の、その弟子に対する深い思いやりとか慈悲心が、しだいに相手に分かりかけてくれば、叱るなどということは、まっ ・・・
真の偉人というものは、何も叱ったりなどしなくとも、人が自ら服するものであります。実際偉大な先生の、その弟子に対する深い思いやりとか慈悲心が、しだいに相手に分かりかけてくれば、叱るなどということは、まっ ・・・
卒業後の指導として、一番根本的な指導は、何と言っても、有志の青年たちの読書会を設けることでしょう。というのも、もし読書会が真に正しく行われたならば、たとえその人が他に転任したとしても、それは会員相互の ・・・
真に偉大な人格は、これに接した人々が、直接眼のあたりその人に接していた時よりも、むしろその膝下を去って、初めてその偉大さに気付くものであります。金剛山の高さは、山の中にいる時よりも、これを遠ざかって石 ・・・
教育ということは、これを言い換えると「人を植える道」ということもできましょう。すなわち一人の人間を真に教育するということは。たとえば一本、一本木を植えるようなものであって、たとえ植えた当の本人たる教師 ・・・
真に国家の前途を憂える教育者は、どうしても常に、二十年、三十年先の国家を考えていなければならぬと思うのです。もちろんそれは、個人の場合と違って、刻々に移りいく現状の変化によって、常に転変してやまないわ ・・・
われわれ人間の価値は、その人がこの二度とない人生の意義をいかほどまで自覚するか、その自覚の深さに比例するといってよいでしょう。ところで、そのように人生の意義に目覚めて、自分の生涯の生を確立することこそ ・・・
人間は、自ら積極的に欲を捨てるということは、意気地なしになるどころか、わが一身の欲を打ち越えて、天下を相手とする大欲に転ずることとも言えるのです。しかるに世間多くの人々は、欲を捨てるということを、単に ・・・
真の道徳修養というものは、意気地なしになるどころか、それとは正反対に、最もたくましい人間になることだと言ってよいでしょう。すなわちいかなる艱難辛苦に会おうとも、従容として人たる道を踏み外さないばかりか ・・・
われわれ人間が禽獣と異なるゆえんの真の根本は、結局理智の奧底にあって、常に理智を照らして導くところの、真の人生の叡智でなくてはならぬでしょう。すなわちわれわれ人間に、真の正しい生き方を教える真の叡智で ・・・