69 一時一事 修身教授録抄 姿勢を正して声を出して読んでみた
今「一時一事」の工夫について考えてみるに、われわれが何か事をなすに当たって、現在自分のなすべき仕事のうち何が一番大切であるか、一体何から片付けて行ったらよいかということを、まず見定めなければならなぬ ・・・
今「一時一事」の工夫について考えてみるに、われわれが何か事をなすに当たって、現在自分のなすべき仕事のうち何が一番大切であるか、一体何から片付けて行ったらよいかということを、まず見定めなければならなぬ ・・・
人生を深く生きるということは、自分の悩みや苦しみの意味を深く噛みしめることによって、かような苦しみは、必ずしも自分一人だけのものではなくて、多くの人々が、ひとしく悩み苦しみつつあるのだ、ということが ・・・
伝記というものは、われわれにとって、人間の生き方を教わる意味において、いついかなる時期に読んでも、それぞれ深い教訓を与えられるわけですが、しかし私の考えでは、人間は一生のうち、とくに伝記を読まねばな ・・・
偉人の伝記というものは、一人の偉大な魂が、いかにして自己を磨きあげ、鍛えていったかというその足跡を、もっとも具体的に述べたものですから、抽象的な理論の書物と違って誰にも分かるし、また何人にもその心の ・・・
この人間の長所短所の問題については、私は平素から大体次のように考えているのです。それは知識とか技能のような、いわば外面的な事柄については、一般的には短所を補うというよりも、むしろ長所を伸ばす方が、よ ・・・
私がここに「三十年」という題を掲げたのは、実は人生の正味というものは、まず三十年くらいなものだという意味です。実際人間も三十年という歳月を、真に充実して生きたならば、それでまず一応満足して死ねるので ・・・
世間では、哲学者というものは、冷静でなくてはならぬと言われていますが、そしてそれにも一面の道理がないわけではありませんが、しかしこの言葉をもって、哲学者とは何ら情熱も感動もないもののように考えたら、 ・・・
かくして情熱というものは、人間の偉大さを形づくりところの素材であり、その基礎と言ってもよいでしょう。したがってまた初めから情熱のない干からびたような無力な人間は、いわば胡瓜のうらなり見たいなもので、 ・・・
私の信ずるところによれば、修身というものは、何よりもまず人間をして、力強くこの人生を生きるような、覚悟をさせるものでなくてはならぬと思うのです。すなわち、これまで眠っていた魂が、一箇の人格を通じて、 ・・・
われわれが気品のある人間になるためには、何よりもまず根本のこころの曇りを拭うようにしなければならぬと申したわけですが、しかしさらに大切なことは、慎独、すなわち、人間がただ一人でいる場合にも、深く己れ ・・・