君子の為す所は衆人固より識らざるなり|9月16日のことです。

Release: 2018/09/16 Update: 2018/09/16
君子の為す所は衆人固より識らざるなり
孔子魯の司寇たりしとき用ひられず。従ひて祭りしに燔肉至らず。冕を税がずして行る。知らざる者は以て肉の為めなりと為し、其の知れる者は以て礼なきが為めなりと為す。乃ち孔子は則ち微罪を以て行らんと欲し、苟めに去ることを為すを欲せざるなり。君子の為す所は衆人固より識らざるなり。(告子下六章)
こうしろのしこうたりしときもちいられず。したがいてまつりしにはんいくいたらず。べんをぬがずしえさる。しらざるものはもってにくをためなりとなし、そのしれるものはもってれなきがためなりとなし、そのしれるものはもってれなきがためなりとなす、すなわちこうしはすなわちびざいをもってさらんとほっし、かりそめにさることをなすをほっせざるなり。くんしのなすところはしゅうじんもとよりしらざるなり。(こくししもろくしょう)
【訳】
孔子が魯国の法務大臣であった時、その意見は主君に採用されなかった(この時、孔子は折をみて、魯国を立ち去ろうと決心された)魯国でお祭りがあった時(礼である)焼肉の分配がされなかった。それで孔子は冠を脱ぐ暇もないほど急いで魯国を立ち去られた。(これを聞いて)孔子を全く知らない人は、焼肉が分配されなかったからだと考え、いくらか知っている人は、礼が行なわれなかったからだと考えた。(しかし)孔子は、祭りで焼肉が分配されなかったとう非礼は軽いが、祭りに参加した自分の責任はあるとして、かねてからの決心を実行されたとういうのが真相である。理由もなく去ることを孔子は望まれなかったでのある。このように、心ある立派な人の行為は(全てに深い思慮があり)一般人にはうかがい知ることはできないのである。
9月16日の孟子一日一言の言葉です。
この文章だけ読んでもよくわかりませんが孔子様は主君に不満をいだき自分がいるべきところでないと決心されたのはわかります。
古代の中国の儀式で使うものなのでしょうが焼肉となると通常のものを想像してしまいますね。
君子は一般の人には理解されないことがあるんですね。
しかし、学ぶ人にはのちに伝わるということでしょうか。
今日も一日がんばります。
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