空所をもつ|11月15日のことです。
Release: 2018/11/15 Update: 2018/11/15
空所をもつ
恩師は私に「空所をもて」と教えてくれた。空所というのは、一家のだれも住んでいない部屋(神仏の間とか)があるように、一日に一度、職業と関係のない時間をもてといったことである。空なところとは、無関係の別の事をするということである。別の世界に住むので、自分の本業のことが、自然とわかるのである。
娯楽、芸術に一生懸命になったその澄みきった気持ち、これを生活に移して、楽しい時も苦しい時もいつも変わらず、にこにこ自分の仕事にいそしむ。こうした生活が、高次の娯楽の意義である。
11月15日、丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、今日の言葉です。
経営者はそういう時間をつくったりするのも仕事うちなのでしょうね。
今はまったく時間がもてない状態といなっていますがこれもずっと続くわけではありませんね。
どこかで違う刺激を受けるような機会を持つことも大事です。
にこにこして仕事する。みんなで頑張るというのは楽しいことです。
今日も一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
関連コンテンツ
親の恩 愛育の恩とか、教育の恩とか、生み育てた恩、これが父母の恩であるが、それが自然のうちに行われるので、恩の感じがしない。何十年も同じ家に住み、共に健康で、苦しみに出逢ったことなどない親子の間には、…
人の本性 平和な日常の生活、それは物がなくてもは一日も一分も生きて行けない生活(と考えられる)、これは実は、錯覚の生活である。 心に何の憂いもなければ、たとえ水を飲んで暮らしていても幸福である。 苦し…
病気は正しい心から 病気とは何か。気=精神が、自然の状態を失っているのである。 まばらな竹林に風が吹きこんで来ると、枝も葉も、ざわざわと動く。しかし風が過ぎると、さっと止んで、元の静けさに帰る。人の心…
耳は「聞く」もの 耳は「聞く」ものである。聞かねば耳ではない。まともに、ありのままに、淡々として私情私意、我情我欲を挿し挟まずに、たださながらに聞く、これがほんとの耳である。 聞えても、そのままの意味…
人は、縄をもっては、その肉体をしばる事はできるが、その精神をくびることは出来ぬ。 人の心をかなしばりにしばりつけるものは、ただ一の信(まこと)あるのみである。 「士は己を知る人の為に死す」(史記)と言…