善・信・美・大・聖・神|12月12日のことです
善・信・美・大・聖・神
欲すべきを善と謂ひ、これを己れに有する之れを信と謂ひ、充実する之れを美と謂ひ、充実して光輝ある之れを大と謂ひ、大にして之れを化する之れを聖と謂ひ、聖にして知るべからざる之れを神と謂う。(尽心下二十五章)
ほ¥っすべきをぜんといい、これをおのれにゆうするこれをしんといい、じゅうじつするこれをびといい、じゅうじつしてこうきあるこれをだいといい、だいにしてこれをかするこれをせいといい、せいにしてしるべからざるこれをしんという。(じんしんしもにじゅうごしょう)
【訳】誰もがこうありたいと思うを善といい、善が自分のものとなっているのを信といい、善が充実しているのを美といい、美が内から光を放つのを大といい、これが自然に人々を感化するようになるのを聖といい、聖でありその働きが人智では測り知ることのできないようになるのを神という。
12月12日、孟子一日一言のこと言葉です。
誰もがなりたい善。
人がもとから善といことで。悪になるのは環境などで変わっていくんでしょうね。
基本が善ということですから、まず善でなければなにも始まりませんね。
遠い道のり難しい道のりですが善でいなければなりませんね。
今日も一日がんばります。