門を過ぐるも而も入らず|3月21日のことです。
Release: 2019/03/22 Update: 2019/03/22
門を過ぐるも而も入らず
禹、外に八年、三たび其の門を過ぐるも而も入らず。(滕文公上第四章)
う、そとにはちねん、みたびそのもんをすぐるもしかもはいらず。(とうぶんこうかみだいよんしょう)
【訳】
禹は(治水に取り組み)我が家を後にして八年、東奔西走した。その間、三回ほど我が家の前を通ったが、一度も立ち寄らなかった。
3月21日、孟子一日一言です。
これほどまでの信念が必要だということなんでしょうね。
家に寄るとどうしても気持ちが折れるほどの大事業だったんでしょうね。
たくさんの人が死んだり怪我をしたりしたんでしょうね
自分だけがという気持ちもあったかもしれませんね。
後世に残るほどの大事業は辛い事もあるんだと思います。
今日も一日がんばります。
関連コンテンツ
其の徳を友とす 友とは其の徳を友とするなり。(万章下三章) 【訳】 友というものは、その人の人徳を友とするものである。 7月15日、孟子一日一言の言葉です。 友ということを考えた時になぜその人を友と呼…
人の道あるや、飽食暖衣、逸居して教なければ、則ち禽獣に近し。聖人之れを憂ふるあり、契をして司徒たらしめる教ふるに人倫を以てして、父子親あり、君臣義あり、夫婦別あり、長幼序あり、朋友信あり。(滕文公上第…
見て・聞きて之れを知る① 堯舜より湯に至るまで五百有余歳。(中略)湯の若きは則ち聞きて之れを知る。湯より文王に至るまで五百有余歳。(中略)文王の若きは則ち聞きて之れを知る。文王より孔子に至るまで五百有…
百世改むる能はざるなり 之を名づけて幽厲と曰ふ。孝子慈孫と雖も百世改むる能はざるなり。(離婁上二章) これをなづけてゆうれいという。こうしじそんといえどもひゃくせいあらたむるあたはざるなり。(りろうか…
伊尹-五たび湯・桀に就きし者 五たび湯に就き、五たび桀に就きし者は、伊尹なり。(告子下六章) ごたびとうにつき、ごたびけつにつきしものは、いいんなり。(こくししもろくしょう) 【訳】 五回も殷の湯王に…