人は鏡|3月9日のことです。
Release: 2018/03/09 Update: 2018/03/09
人は人、自分は自分と別々のいきものだと考えるところに、人の世のいろいろの不幸がきざす。
実は人はわが鏡である。自分の心を映す映像にすぎぬ。
親子、夫婦、交友、隣人、すべてわが鏡であって、わが心のままに変わって行く。
今日まで、相手を直そうとした。鏡に向かって、顔の炭をけすに、ガラスをふこうとしていたので、一こうにおちぬ。
自分の顔をぬぐえばよい。人を改めさせよう、変えようとする前に、まず自ら改め、自分が変わればよい。
3月9日、丸山敏雄一日一話(幸せになるための366話)言葉です。
ものの見方、考え方でどのようにも見える。
たしかにそうです。
その時の気持ちの持ちようで相手のことを受け止めたり反発心が芽生えたり。
よい心持ちでいなければありませんね。
私の場合はもっと考える時間(戦略時間)を持つ必要がありそうです。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
関連コンテンツ
習うとは 努力とは、杭を打つようなものである。 同じ力で、同じま(間)でトン、トン、トンと打っていると、どんな土地にでも、どんな棒でも、ずっしりと土に食い入って、こんりざい動かなくなる。 まっすぐに、…
暗黒の中に光明を見よ 「光明面に立て」ということは、苦痛をのがれよということではない。世のいとわしさを捨てて山に入れということではない。暗黒の中に光明を見よ、といのである。苦難の中にただちに歓喜を得よ…
人は我が身方 苦しみのたねは他人にあるのではない、皆自分にある。我が心にある。有りもせぬ影法師をつかまえて、怖がっているのである。 それで、「物を捨てよ」という、「物欲を去れ」という。本当のことは、物…
耳の観景 わび茶の道は、味覚の世界だとばかり考えたら甚だ浅い。釜のにえ音に、夜雨を聞き、松籟(しょうえん)を聞き、露地に滴(したた)る打水の音、軒端の梢(こずえ)をわたる風の声、さては、静寂の極まりに…
食の自由の境地 世には、同じ物を食べる事をいやがったり、それがいかぬように思ったりする向きがある。これは間違いである。 ことさらに同じ物ばかり食べる必要がないが、得られない時は何日でも何カ月でも同じ物…