修養の手始め
修養の手始め
諸君らも身内の者について人に話す場合には、敬称をつけないことです。たとえば諸君が自分のお父さんのことは、「私の父は」と言って「お父さんはー」とは言わないのです。つまりさん付けしないのです。それから「君」とか「僕」という言葉は、同輩または目下のものに対する言葉で、自分より目上の人に対しては、使わないのが普通です。以上のことは、諸君らの修養の手始めとして、真先に矯正しなくてはならない事柄です。【75】
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そうなってくると自社の人間も当然ながら呼び方に気を付けるべきだということでしょうね。
自社の社員をパートもさんづけで他社の人にいうのは変だということになるのでしょうか?
しっかりと考えなければなりませんね。
この講は人と禽獣の違いは何かということに対して教授が語る講ですが、こういうことも考えているのかという問題に突き当たります。
人と犬猫、牛馬の違い。
教授が言うにはやはり自分の生涯について考えることが出来るか出来ないかという点だと理解しました。
たしかに、犬猫が自分の生涯について考えているのかというと、犬猫ではないのでわかりませんがおそらくそういったことは考えていないと思います。
そもそも本能的なことでしか禽獣というもの動けないのではないかと感じます。
人はどうかというと考えてみますと、悩んで自殺までできるのですから禽獣とは違うかもしれません。
そう考えると自分の生涯について考えもしないというのは禽獣となんら変わりがないということみたいです。
自分の生涯などについてしっかりと考える必要がありそうです。
人間なのですから。