無量の生命への感慨
無量の生命への感慨
親は何故に大切にしなければならぬのでしょうか。それはわがこの生命を生み、かつ今日まで育ててくれた大恩があるからです。しかもわれわれは、このようにひとりわが一身のみならず、わが生命の親たる父母も、またその親たる祖父母も、無窮の祖先かたの子々孫々に至るまで、無量の生命が存続して、今日に及んでいるのであって、ひと度このことを考える時私達は、無限の感慨に打たれずにはいられないのです。【312】
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自分の命ということを考えることが40歳も後半にならなければ、まったく感じられないというのは実に情けないものであります。
しかし、このことも実際は仕方ないことだと言えるでしょうし、こういうもんだととも言えます。
命というものを有り難く感じる状態は、人それぞれだとは思いますがたいていは病気をしたり、人間ドックや健康診断で数値が悪くなっているのを見て突然にあせるわけです。
若くしてこのようなことに気づきたいものですが、実際はこの生温い現在の生活の中では無理でしょうね。
しかし、一たび大きなことが起これば全員が気づくことです。
人生二度なしならば早く気づきたいもんです。
なぜに生かされているのでしょうかね~。